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「平和ってなんだろう?」哲学者と学生が考える、私たちの平和 vol.3
「平和ってなんだろう?」哲学者と学生が考える、私たちの平和 vol.3
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「平和ってなんだろう?」哲学者と学生が考える、私たちの平和 vol.3

哲学対話とは日常のふとした疑問について対話し、考える場。ゴールは答えを出すことではなく、自分の言葉で話すこと。相手の話を聞くことで考えを深め、新しい価値観に出合うこと。哲学者の永井玲衣さんと6人の学生が、平和について対話しました。

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「武力を使うって、対話を放棄すること」

ハヅキ まあ、でもやっぱりそれって対等じゃないし、弱い人が声を上げなくていいかっていったらそうじゃなくて。だから私は話し合いたいし、そこで必要なのは力じゃなくて対話だなって思うんですけど、やっぱりわかり合えない人とは対話できないのかっていう私の永遠のテーマみたいなのがあって……。どうやったら話し合ってくれるのか、同じ土俵に立てるのかとか。そこがちゃんとうまくやっていけたら、戦争とかじゃなくてちゃんと対話して折り合いをつけていけるのかなって。それをいつも考えてるから、平和についても、その問いが引っかかってしまいます。

レイ 平和のために戦争をするって、歴史が繰り返してきていることで、それはやっぱり違うなっていう感覚があるんだけど、でもじゃあなんで対話なのか。対話も言葉を持ってる人が強くなっちゃったらどうしようって、すごい怖いんですよね。戦争と対話って圧倒的に違うと思うんだけど、その違いはどこにあるのか知りたくなってきました。力が言葉に置き換わっただけじゃんって言われた時に、違うんですって言いたいんだけど、みんなは何が違うって言えますか?

お互いの話を聞くうちに、だんだん考え方に変化が

ナナコ 対話では人が死なないかなって思ったんですけど、いや死ぬなと思って。それくらいに言葉で論理を通す、考えを述べ合うことはお互いの深い部分に触れることだから、物理的に血が流れることはなくても、武力と同じくらいの危険性があるんだろうなって思っていて。でも私も爆弾を落とすより対話のほうがいいような気がしているのは、戻ることができるからなのかなと。対立する国が、どちらかの言い分を通そうと思って爆弾を落としてしまったら、失った土地とか人の命とかは元に戻らない。でも対話なら少し時間を巻き戻して、現在の地点以外の話をできる。だから同じくらい暴力的であったとしても私は言葉を使うことを選んでほしいって強く思うのかな。

ハヅキ 私は対話に柔らかさみたいなものを感じていて、受け止めてくれるというか……。言葉で殴りつけるみたいな場ではなくて、本当にそれでいいの? って疑える場所っていうか。主張するっていうよりは、みんなで探したり聞いたりできるっていう意味で、やっぱり力でぶつかり合う戦争とは全然違うなって感じます。

アリメ 暴力、戦争とかって、内に思ってることを外に出さないイメージがあって。でも対話って、お互いに聞く姿勢、受け入れる姿勢を持ってその胸の内を話すことができる。確かに弁論がうまい人に納得させられることもあるけど、言葉がうまくなくてもすごく考えて、ひと言でシビれる言葉を発する人もいる。「ああ、そんなふうに思ってたんだ」って、お互い理解して解決に向かえるのは暴力とか武力とかとは違うのかなって。

トキ みんなが言っている通り、対話ってやり直せるし、暴力に比べると平和的な一方で難しさもあると思うことがあるんです。僕は福祉の現場で困窮者支援に携わっているんですけど、例えば家出をした若者を保護して、生活を支援するんです。本人と対話したうえで、じゃあ仕事を探して自立しますってなるんですけど、次の週にはいきなり姿を消してしまうみたいなことが起こるんですよ。その時思うのは、人間ってそんな簡単じゃないっていうことで、対話ってなんなんだろうって思ってしまう。でも現場で大切にしていることは、たとえ裏切られる形になっても絶対に連絡を取って、つながり続けること。それで解決するわけではないんですけど……。対話するっていうのは一時的じゃなくて長期的なもので、永遠に問い続けるものなのかなって思ったりします。

自分の平和、近しい人の平和、世界の平和。考えるほど複雑になるテーマに深く潜っていく

ケビン 武力を使うって、対話を放棄することですよね。でも確かに戦いで白黒つけたほうがわかりやすいっていう部分もある。対話は後戻りできるっていうのもよくわかるし、いい点だと思うけど、それはそれで面倒で、ずっとやんなきゃいけないし、それで勝ち負けが決まるわけでもない。対話することで何をもたらせるのか、わからない。対話することで平和になれるならそうすればいいじゃんって思うけど、そうでもないし……。

トモヨ 私、前おつき合いしてた方と喧嘩になって別れてしまったんですけど、その時すごい泣きながら話して、「なんでどっちが悪いとか悪くないとか決めなきゃいけないんだろう」ってずっと思ってて、苦しかったんですけど、結局その人とは言い争いみたいなことしかできなくって、それで悩んでて。何年かした後に会って話して、あの時私はこういうことを言われて傷ついてて、でも私も傷つけてしまったよねっていうすり合わせみたいなことをして。それでやっと対等になれたというか、どっちが悪いとかはなくて。それで私たち、これからどういう関係が一番いいんだろうっていう話になって、月にこれくらいの頻度でご飯食べに行こうよってことになって、ちょうどいい距離感みたいなのを見つけられた感覚があったんです。それをいろんな人とやってみたいし、国同士でもできないのだろうかって思います。

ハヅキ 対話をやっていると、相手の話を聞くとか受け入れる姿勢がある人が多いなって感じます。一方で対話の活動をやっていると言うと、「なんか深いね」みたいな反応が返ってくることのほうが多くて。そういう社会を目の当たりにした時に、もうちょっと受け入れたり、話したりできる能力が育まれていたら、もっと柔軟に考えられるんじゃないかなって思っていて。私自身も小さい頃から対話とか、それにまつわる教育を受けていたら、今と何か違ったのかなとか。一人ひとりの思考力や対話する力があったら、流されるままに戦争になりそうな時に、ちゃんと反対の声を上げられるような気もするので、教育も、もう少しうまいことできないのかなって思います。

▼vol.4につづく

●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。

Photo:Saki Yagi Text & Edit:Yuriko Kobayashi Composition:林愛子

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