菊地凛子×長島有里枝「人の好きなものを否定する必要はない。受け入れる社会がいい」【前編】
2023年に初の邦画単独主演作品『658km、陽子の旅』が公開された菊地凛子さん。その映画ポスターの撮影をした写真家の長島有里枝さんと、再びのフォトシューティングが実現。対談では映画について、孤独を抱えた女性が主人公になった意義、互いの生き方を認め合う大切さを語りました。
どこにでもいるのに描かれなかった「陽子」

菊地 長島さんには映画のポスター撮影で初めてお会いしました。会うまでは強い方なんだろうなという印象を持っていましたが、その時は風景に馴染むくらい静かな佇まいだったので、ギャップに驚きました。
長島 急にお邪魔して場の空気を壊さないよう、気をつけていたんです。あの時は、ノーメイクでしたしね。
菊地 現場は2人ともノーメイクでしたね。今日はまた全然違う雰囲気の長島さんですね。
長島 あはは(笑)。ところで、わたしはほんの数日参加しただけですが、驚くほど和やかな撮影現場だと感じました。
菊地 そうなんです。30人くらいの少人数の現場というのはとても珍しいんです。スタッフ全員の顔や役割がはっきり見える環境で、リラックスして演技に集中することができました。
長島 それでも撮影中は大変だと思うんですが、菊地さんはスチールカメラにも気を配ってくださって。今日は一転して華やかですね。いろんなお顔をお持ちで、いくら写真を撮っても飽きません。
菊地 ありがとうございます。
長島 映画の試写を拝見しながら、実は恥ずかしいくらい泣いてしまいました。2時間があっという間でした。

菊地 とても嬉しいです。陽子が最初から最後までずっと出てくる作品なので、彼女の心情の変化をきちんと表現しないと観客の方が目を離してしまうと思い、演技をする時にそこはとても気をつけました。
長島 そうだったんですね。だんだんと陽子の心情に自分の経験や感情が重なって、感極まってしまいました。
菊地 わたしも、観客として鑑賞した時に、孤独や人との出会いで心境が変わっていく部分など多くの人がシンパシーを感じるんじゃないかと思いました。誰にだって、誰とも口をききたくない日もありますよね。もしかしたら陽子は、それが長い間続いている。彼女はすごく不器用ですが、今日を必死に紡いでいる人です。
長島 わたしの女友達も、テレアポのバイトをして独身、一人暮らしという時期がありました。
菊地 そういう方は、実は世の中にたくさんいると思います。
長島 そうですよね、わたしがなかなか出会わないだけ。彼女たちの暮らし振りや人となりを知る機会はほぼありません。ときどきメディアで取り上げられても、非正規雇用やワーキングプアなど、社会問題の当事者として語られがちです。『658㎞、陽子の旅』では、そうした顔の見えない一人の女性の考えや感情を、丁寧に描いています。
菊地 人との出会いで陽子の心境が変わっていく場面など、自分ごとに置き換えられる部分が多いかもしれません。

長島 ヒッチハイクをして青森を目指す陽子は途中、性被害に遭ってしまいますね。観ていて辛いシーンですが、残念ながら、いまも多くの人が直面し続けている現実の問題です。被害を打ち明けるのが難しいことは、この問題をより深刻にしていると思います。近年、欧米を中心に、女性が性暴力の被害者として安易に描かれることを問題視する議論があります。無批判に性描写を採用する文化をわたしたちは反省すべきですが、本作ではあのシーンに「陽子の現実から目を逸らさない」という意味がありましたね。
菊地 苦しいのに言えないことってたくさんあると思います。しかし、昔よりはたくさんの人が声をあげる場面も増えてきたように感じます。少しずつですが、時代は変わっていると感じますが、いかがですか?
長島 良くなっている部分は絶対あると思います。多様性が尊重されるようになって初めて可視化された課題もあって、結果的に問題のありようが複雑化してきた面もあると思います。困難にぶつかった当事者が、「自分のことを話そう」と思える社会をつくることが大切ですね。

菊地 たしかに、当事者が提起した問題をきちんと話せる社会の器が必要だと思います。
長島 問題が表面化した時、例えば「非常識だ」とか「タイミングが悪い」というように、論点をずらして誤魔化す人がいないことが望ましいですよね。苦境に立たされた人には共感の気持ちをもって、彼らの立場からいったん世界を眺める。そのうえで「大変だったね、頑張ったね」と声をかけられるような人でありたいです。
菊地 共感は大事。陽子も旅のなかで受け入れられる体験をするシーンがあります。そういう瞬間に人はきっと救われるんだと思います。
長島 陽子が福島で出会った木下さん夫婦(吉澤健、風吹ジュン)みたいに、その人自身には共感しなくても、家族や友人だったらどうかな、と考えて接する、そういう共感の仕方もあると思います。
菊地 相手の立場を考える想像力がすごく大事ですね。
▼後編につづく
PROFILE
菊地凛子 きくち・りんこ
1999年、新藤兼人監督の『生きたい』で映画デビュー。海外にも活躍の幅を広げ、2006年公開の映画『バベル』では、アカデミー助演女優賞を含む多数の映画賞にノミネート。13年、18年に映画『パシフィック・リム』シリーズに出演。22年には、アメリカのドラマシリーズ『TOKYO VICE』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)への出演で話題に。23年秋から放送の連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)では、淡谷のり子がモデルの茨田りつ子役を演じた。
長島有里枝 ながしま・ゆりえ 1993年武蔵野美術大学在学中に「アーバナート#2」展でパルコ賞を受賞しデビュー。2001年に『PASTIME PARADISE』で第26回木村伊兵衛写真賞を受賞。フェミニズム的視座とパンク精神をモットーにアーチストとして活動。近年、文筆業や教育活動もおこなっている。近著に、日本写真協会賞学芸賞を受賞した『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)や、『こんな大人になりました』(集英社)がある。
映画『658km、陽子の旅』

非正規の職に就き、他人とほとんど関わらずに生活している陽子。20年以上疎遠となっていた父の訃報をきっかけに、青森にある実家へのヒッチハイクの旅がはじまった。監督/熊切和嘉 出演/菊地凛子、竹原ピストル、オダギリジョーほか
●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。
Photo:Yurie Nagashima,Rie Amano Styling:Megumi Yoshida Hair:ASASHI(ota office) Make-Up:Ryota Nakamura(3rd) Hair & Make-Up:(for Yurie Nagashima)Kohji Kasai(UpperCrust) Text & Edit:Saki Miyahara
Composition:林愛子