広島の福山市にいったい何があるのですか?【第1回】 「バラのまち」の老舗工場で、灼熱のフライパン鍛造体験
「バラのまち」と呼ばれる(らしい)広島県福山市にあこがれて、広島・備後地方を旅するツアーに東京から参加することになったノンフィクションライターの白石あづさ。福山市の鍛造工房や船で瀬戸内海などをめぐり、同市の隠れた魅力に迫ります。
福山は大昔から「鉄鋼」の街だった!
テレビでニュース番組を見ていたら、突然、画面いっぱいに鮮やかなバラの花が映し出された。どこのバラ園なのかとボリュームを上げてよくよく聞いてみると、広島県福山市の街なかにある「ばら公園」らしい。広島は遠い昔に訪れたことがある。尾道でラーメンを食べたり、宮島の鹿に煎餅を食べさせたり。でも福山市のことは何も知らない。
アナウンサーは続ける。その公園のバラは長年、多くの市民が世話をしているのだという。同市が「バラのまち」と呼ばれていることをそのとき初めて知ったのだが、街のあちこちでバラの香りがするなんて、ずいぶんと優雅な市だ。
「福山市、いつか行ってみたいなあ」と願っていると不思議と縁ができるもので、関東のメディアを集めて福山市をまわるプレスツアーに声をかけていただいた。ひと月後、バラの季節はすっかり終わっているだろうけれど、どんな素敵な街なのか楽しみである。
5月の「ばら公園」のようす(写真=福山市提供)
ところがだ。出発の数日前、知り合いの呉出身の男性編集者にこのツアーに参加することを告げたら「えっ、尾道はともかく福山にいったい何があるのですか?」と目を丸くしている。そんなに驚く?
「福山って広島県第2の都市ですけど、デートでは行かないっすね。工業都市ですよ。優雅なバラで有名? 広島で生まれ育ったオレだけど初耳です。海? まあ港はあるけど横浜みたいにおしゃれじゃないですよ。それに瀬戸内海の色は関東と違って年がら年中、緑色ですから!」
なぜか呉男は「期待しちゃだめだ」と呪文のように念押ししてくる。「つまらなかったら申し訳ない、せめて期待のハードルをグッと下げてから行ってくれ」と彼なりに気をつかっているようだが、そこまで言われると、かえって興味がわいてくるではないか。
出発当日、羽田空港から山あいの広島空港へ。お迎えのバスに乗り山陽自動車道を通って福山市へと向かうと、街の中心街ではなく、潮の香りがして機械の音が響く工場エリアに入っていく。「鉄鋼団地ですよ。福山市は昔から鉄の街で知られています」と添乗員さん。大きな製鉄会社から家族経営の小さな鉄工所もあり、鉄の仕事に就いている市民は多いそうだ。
ところで「昔から」とはいつからなのだろう。調べてみれば、現在の福山市をはじめ中国山地一帯では鉄が採れたそうで、古墳時代後期から鉄の生産が始まっていたらしい。その鍛冶(かじ)が南部の福山市に伝わり、同市の鞆町(ともちょう)の鞆の名をつけた「鞆鍛冶」が始まったのだが、それがいつごろかははっきりとわからない。
けれど室町前期の鞆鍛冶の刀がいまも残されているから、そのころには製造されていたのだろう。鉄の材料や燃料は山から川を経て届き、できた鉄製品は海運で各地に運ばれる。そんな水運に恵まれた土地で鞆鍛冶は衰退することもなく発展していった。戦のない江戸時代になると刀や槍の需要が減ってしまったが、錨(いかり)や船の釘などの生産にシフトして乗り切ったようだ。明治から大正にかけて錨の生産は国内一だったらしい。第二次世界大戦後は世界でも有数の巨大な製鉄会社が次々と建てられた。
話を旅に戻そう。さて、そんな鉄の街に一般向けの鍛造体験ができる工房があるという。鍛造と聞いて、「真っ赤な鉄をトンカン叩くあれか」と映画『もののけ姫』のワンシーンを思い浮かべたものの、実際に自分でやってみるのは初めてだ。 バスは鞆町の鉄鋼団地にある鍛造・金属加工会社「三暁(さんぎょう)」の前で停まった。同社は創業73年、橋梁用金物のほか、クレーンやエレベーターなどの精密部品を製造している。バスを降りてみると、巨大な工場と工場に挟まれた幅10mほどの空間に、ガラス張りのモダンな建物が。山の緑を背景に、木と鉄とコンクリを組み合わせたリゾートホテルのようなしゃれたつくりが映える。ここは三暁が2022年8月から運営している“ものづくりの価値を伝える”施設「santo(サント)」だ。
三暁が2022年にオープンさせたsantoのエントランス
入口には高さ1.5mほどの大きな錨が敷石の上にポツンと置かれており、中に入ると板を格子状に組んだハチの巣のような天井に圧倒される。スタイリッシュな鉄骨が天井を支え、足元にはコの字型の囲炉裏(いろり)があった。ときどき、ここで「焚き火BAR」も営業するらしい。
とにかく暑い! ついでに煩悩も燃やしたい!!
説明を聞いた後は、隣の鉄工所でフライパンの鍛造を体験できるという。貸してもらったヘルメットに軍手、ジーンズ生地のツナギを身につけ待機していると、若い社員さんが、さまざまな形の平たい金属が入ったトレイを運んできた。丸や四角などいろいろな形があり、私は厚さ3.2㎜、直径20㎝ほどの丸形の金属を選んだ。イザとなったら武器にもなりそうなくらい重いが、これで肉や野菜を焼いてもおいしそうだ。鍛造工房の入り口をくぐると、santoの現代アートのような空間から一転、映画『ALWAYS三丁目の夕日』にも出てきそうな、いかにも昭和の鉄工所といった無骨な空間が広がっていた。
工房でフライパンづくりの説明を受ける
道具や作業台はおおむね鈍い鋼色か錆の出た赤茶色で、つかい込まれているさまが素人目にもわかる。で、とにかく暑い。大型の扇風機が何台も回っているが、それでも汗がダラダラ流れてくるのは、奥でコークス炉が真っ赤に燃えているからだ。ふだんのおこないが悪いせいか、赤く立ちのぼる炎を見ているとゴーン!ゴーン!という工房内に反響する重低音も相まって、地獄の業火にも見えてくる。
フライパンづくりのついでに煩悩も燃やして帰りたい。そんなことをぼんやり考えていると、坊坂(ぼうさか)さんという30代くらいの男性社員がやってきて、一対一で教えていただけることになった。坊坂さんは私が選んだ先ほどの丸い鉄板をトングのような道具でつかみ、コークス炉の中に入れて焙(あぶ)り始めた。金属を1000℃以上に熱することができるそう。
コークス炉で真っ赤に燃える鉄。これがフライパンになる
まるで生き物のように鉄板の色が真っ赤に変わっていくようすが遠目にもよく見える。そして坊坂さんがその熱々の鉄板を分厚い鉄の台までソロリソロリと運んでくると、「さあ、思いっきりどうぞ!」と金槌で全体を叩くように命じられた。槌目といって、鉄板に跡をたくさんつける作業だ。
熱いうちにひたすら叩く!
「叩けば叩くほど鉄は強度を増します。もっと叩いて!」とハッパをかけられ、親のカタキとばかりにガコガコと叩いていく。「鉄は熱いうちに打て」という言葉は日常よくつかわれるが、いま、まさに‼ しばらくするとやわらかく赤い鉄も硬くなってきて鈍色に変わる。そしてまた炉で熱してもらう。これを数回、繰り返したあと、最後はフライパンの形になるよう深みのある金型に入れ縁にカーブをつけていく。
均一に叩いたつもりだったが、鉄板に残る跡は正直だ。そんな大小バラバラの槌目にも坊坂さんは「この人、下手すぎる! 後で直さなきゃいかん」などとはオクビにも出さず、「オー、スバラシイ!」「オジョウズデス!」などと大仰に褒めては場を盛り上げてくれる。中年になると誰かに褒めてもらえることなんてないから、もはや問答無用で「福山っていいところだよ」と推せる気分になる。
最後に「何か気になることはありますか?」と聞かれたので、「底がグラグラするんですけど」と答えると、菩薩のようにやさしい坊坂さんが一瞬、阿修羅のようにカッ!と目を見開いて、金槌を振り下ろし一発、ドン! 底は平らになり、台にビタッと収まった。さすがプロ、恐るべし。あっという間にフライパン鍛造体験は終わった。
フライパンのできあがり見本(左)。右の平らな板を叩くうちに形ができていく
完成したフライパンはスタッフによって磨かれ、刻印を入れられて早ければ今日中、遅くとも明日の朝には受け取れるという。至れり尽くせりの鍛造体験であったが、映像で見るのと実際に体験するのはまるで違う。熱さや重さ、匂いや音を五感で吸収することで、鉄という物質のおもしろさや職人さんの想いに少しだけど触れられた気がする。
それにしてもなぜ最新鋭の大型設備で精密な金具を製造している会社が、昔ながらの鍛造工房を始めたのだろうか。また教えて下さった坊坂さん含め、若い社員さんが中心となって楽しそうに汗ダラダラで働いていたのは意外だった。
いまどきの人は、いわゆる3K職場……暑くて埃っぽくて重労働の仕事場なんてイヤがりそうな気がする。やはり福山の地では、大昔から続く鞆鍛冶のDNAが脈々と受け継がれているのだろうか。社長の早間さんに尋ねてみることにした。
photo&text:白石あづさ
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