ウクライナ難民に“日本一”のラーメンを!「らぁ麺 飯田商店」店主率いる若きチームの挑戦
2021年に「TRYラーメン大賞」で4連覇を達成、殿堂入りして全国から多くのファンがつめかける神奈川県湯河原の「らぁ麺 飯田商店」。店主の飯田将太さん(46歳)は「大変な思いをして日本に避難してきた難民の方々を、ラーメンでもてなしたい」と、2022年からラーメンを無償でふるまうイベントを開催しています。神奈川県鎌倉市「アルペなんみんセンター」でおこなわれた第3回目のラーメンイベントに、お邪魔してきました。
国境を越える味! 名店の鶏しょう油ラーメン
整理券制からネット予約に進化しても、予約開始後アッという間に席が埋まってしまう“幻のラーメン”。「らぁ麺 飯田商店」が位置する湯河原は、いまやラーメンファンの聖地ともいわれ、交通不便にもかかわらず全国から多くのファンが訪れている。この“日本一のラーメン“をつくる飯田店主が取り組んでいるのが、ウクライナをはじめ母国から逃れてきた難民の方々への提供イベントだ。
3回目となる同イベントがおこなわれたのは、2023年11月のよく晴れた水曜日。飯田店主とその弟子たちが、この日のために仕込んだスープと打ち立ての自家製麺を携えて鎌倉市の山中にある「アルペなんみんセンター」に到着した。飯田店主の一番弟子である「Ramen FeeL」渡邊大介店主のほか、「中華そば 四つ葉」岩本和人店主、「味噌ラーメン 雪ぐに」柴田雅大店主など、いずれも大行列店の主たちも集結。センターで暮らす7ヵ国21人の難民のほか、ウクライナからの難民や関係者など約120人に、飯田商店特製のラーメンを振る舞うという。
右から「雪ぐに」柴田店主、「とものもと」市原朋宏店主、「中村麺三郎商店」中村健太郎店主、「飯田商店」飯田店主、「麺 ふじさき」藤崎みづき店主、「四つ葉」岩本店主、「Ramen FeeL」渡邊店主。ラーメンフリークなら思わず二度見する、そうそうたるメンバーが揃った
一流のラーメン店主たちの共同作業によって、テキパキと準備が進み、あっという間にいつでもラーメンをふるまえる状態に。飯田店主が当日朝に製麺した、北海道・美瑛小麦の「春よ恋」の新麦によるうつくしい麺が登場した途端、若き店主たちの目が輝いた。
「ボクたちは毎日ラーメンを提供していますが、それぞれが店主としてビジネスを考えながら商売をしているわけです。でも原点は、『うまいラーメンをつくって、みんなに食べさせたい。そして、喜んでもらいたい!』という想いなんですよ。こうやって無償で難民の方々に提供できる機会は、まさにその想いを満たしてくれる最高の機会。これからのラーメン界をつくっていく若い店主たちにも、純粋に『どうぞ、召し上がれ』『ありがとう、いただきます』だけで成り立つ幸せな空間を、ぜひ味わってほしいと思って来てもらいました」(飯田店主、以下同)
超人気店の店主となった渡邊さんだが、飯田さんの大切な日にははるばる青梅市から師匠のもとへ駆けつける。息の合った作業ぶりは、見ていて気持ちがよい
「もちろん、ラーメン店には外国の方も多くいらっしゃいます。なかには『初めてラーメンを食べた』という方もいるかもしれないけれど、こうやって交流をしながら感想を聞ける機会はあまりないんです。そんな交流やあたたかい空気感とかも、ぜひ若手店主にも体験してもらいたい」
この日、飯田店主が用意したのは、鶏のみでとったピュアなしょう油スープ。宗教や文化上、豚を食べられない人もいるため、チャーシューも鶏のみでつくっている。「ラーメンを食べるのは初めて!」というウクライナのガリーナさん(69歳)は、レンゲと箸がうまくつかえず、フォークとスプーンでチャレンジ!
「ウクライナにも鶏のスープやリゾットがあるけれど、日本のラーメンのほうがおいしいわ!」(ガリーナさん)
ウクライナの首都キーウから、戦火を逃れてきたという難民の方々。麺を「すする」ことは、とても難しいようだった
アルぺなんみんセンターのテラスで、ラーメンを楽しむウクライナ人親子。メンマと青ネギ、鶏チャーシューがのったシンプルながら滋味深いしょう油ラーメンの味は、万国共通で好まれるようだ
ボランティア活動を通じて、若手に伝えていきたいこと
ラーメンを提供するボランティアを通じて、ラーメン店主同士の交流を深められると飯田店主。伝えたいことを自然に伝えられる、いい機会にもなっている。
「ラーメンをこうして一緒につくっていると、自然とラーメンの話になるわけです。たとえば麺をゆでながら『さっき、製麺しているときに思ったんだけど……』、スープを注ぎながら『そういえば鶏のだしの出るポイントって……』なんていう話になる。その流れで自然に、食材の話になったりね」
飯田店主が後進たちに伝えていきたいのは、いまラーメン店主たちが当たり前のようにつかっている食材について。かつて“ラーメンの鬼”と謳われた「支那そばや」の故・佐野実さんを筆頭に、先人たちが切り拓いてくれたからこそつかえる食材がたくさんあるという。
「名古屋コーチンをはじめとする鶏、羅臼昆布などのだし食材、有田の器などなど、佐野さんが全国の生産者を訪ねて結んできた絆があるからこそ、ボクたちのラーメンがある。いまの状況がじつは当たり前ではない、ということを、あらためて伝えられるチャンスでもあるんですよ。感謝があふれているこの空間だからこそ、自然とみんなのなかにも入っていくんじゃないかな」
麺を茹でる、スープを注ぐ、メンマ、ネギ、チャーシューなどのトッピングをのせて鶏油(ちーゆ)をかけるといった各作業を、順番におこなっていく店主たち。なかなかない共同作業に、「学びしかありません」と、みんな真剣。そして楽しそう!
28歳で佐野実氏のラーメンの麺に魅了され、まず麺を打つことから修行をはじめた飯田店主。この日は、盟友「Japanese Soba Noodles蔦」の故・大西祐貴店主のコックコートを着用していた。「彼はいつもボクの麺を気にしていたから、コックコートはふだん製麺所の前にかけてあるんです」
ラーメンのすばらしさを、もっと世界に広げていきたい、と飯田店主。今後もアルぺなんみんセンターやスタッフたちと連携しながら、ラーメンを食べてもらう試みを続けていく計画だ。
「毎回、このイベントを開催するたびに『ラーメン屋になってよかったな』と思うんです。実際に自分たちでものをつくって喜んでもらうこと、これが本当にうれしいんだなあ、と再確認する。そんな想いに共感してくれる若手たちが、こんなにいるというのは、またうれしいじゃないですか。今回、SNSでイベントを事前告知したことで、みんながかけつけてくれた。今後も、こういう機会があったらちゃんと話して伝えていこうと思います。それによって、ボクにも、周りにも、いろんないい効果が生まれていくといいですね」
photo:横江淳、text:萩原はるな