理想の牛乳を求めたら見えてきた「これからの畜産のあり方」【後編】
気候危機というグローバルな問題に、いま私たちは何をすべきなのでしょう。まずは、日本において始まっているさまざまな取り組みに注目。今回は、環境再生型の放牧を実践する人たちに会いに行ってきました。
いい土、いい草、いい牛乳
循環型の放牧酪農のカタチ
2017年にBAKEの代表を退任し、アメリカへ。スタンフォード大学の客員研究員としてアグリテックやフードテックを学んだ。そのとき目にしたのが、アメリカのある牧場が発表していたレポートだった。
「牛を放牧することで土壌が再生し、その土壌が二酸化炭素をより吸収・隔離するようになる。それが適切な放牧酪農であり、リジェネラティブ・アグリカルチャーという考え方だと知り、驚くとともに希望を感じました。当時アメリカではすでに家畜が地球温暖化を加速する一因という認識が広まっていて、一部では家畜=悪というイメージも持たれていました。リジェネラティブな酪農を実践できれば、家畜と共生しながら環境を再生し、おいしいお菓子もつくれる。持続可能なだけでなく、“よりよく”できるのではないかと思ったんです」
近年の研究で、適切に管理された土壌は二酸化炭素を吸収することがわかっている。広い敷地で牛を放牧すると、牛があちこちで排泄したふん尿が堆肥となり、土壌中の微生物を増やす。その上を牛が歩き回ることで土壌が耕され、より肥えていく。そうした健康な土が空気中の二酸化炭素やメタンガスを吸収してくれれば、牛が出すメタンガスの排出量を相殺、うまくいけばマイナスにできるのではないかと考えたのだ。
帰国した長沼さんは2019年に牧場運営をスタート。循環型の放牧酪農に賛同する酪農家の工藤悟さんを放場長として迎え、北海道日高町で約80頭の牛を放牧飼育し始めた。かねてから放牧酪農には土づくりが重要だと考えていた工藤さん。農家らがおこなう土壌研究の勉強会に参加するなど、この3年間、試行錯誤を続けてきた。
「放牧と聞くと広大な牧草地で牛たちをただ放し飼いにするようなイメージを持たれがちですが、そんな単純な話じゃない。牛は大食いで、そのうえ好みが激しい。放っておくと好きな草だけ食べて牧草地をダメにしてしまうし、特定の場所に留まるとそこにだけ排泄物が集中して土壌の窒素が増えすぎ、牧草が健康に育たない。僕は『いい土、いい草、いい牛乳』と言っているんですけど、牛たちを適切に放牧し、土を肥やし、健康な牧草を育てる。それを牛たちが食べて、おいしい牛乳を出す。そのサイクルが大切で、個別に考えることはできないんです」と、工藤さん。
当初、偏った種類の植物だけが育っていた牧草地に新たな種をまいて育て、牛たちのようすを見ながら放牧区画をきめ細やかに設定してきた。いま、32ヘクタールある牧草地では青々とした草が育ち、まんべんなく落とされた牛のふんから新しい草が芽吹いている。
さらに驚くべきは、長沼さんらがこうした放牧酪農においてどんな循環が起こっているのか、それを数値化しようとしている点だ。
「土壌の窒素量がどう変化しているのか、また土がどれくらいの量の二酸化炭素やメタンガスを吸収しているのか。それが明らかになって初めて、本当の意味でリジェネラティブな酪農だといえる。現在、北海道大学農学部と連携し、さまざまなデータ収集や解析を進めています。それらが数値化できれば、酪農に放牧を導入しようと考える農家も増え、なおかつ、地球温暖化において牛が悪者だという印象も変えていけるかもしれません」
放置林を牛の力で活性化
山地酪農の可能性を探る
2022年、長沼さんは環境再生型酪農の新たな可能性を探るべく、研究者らとともに新しいプロジェクトを開始した。札幌の中心地から車で20分ほどの森林地帯に牛や馬を放し、森林を再生させながら酪農を行う循環型の「山地酪農」をやってみようというのだ。
「日本の国土は7割が森林ですが、多くが活用されていません。手入れされず放置された山は鬱蒼(うっそう)として十分な太陽光が届かず、木の二酸化炭素吸収能力を最大限に発揮できないと聞きました。そこを牛が歩き回れば土が耕され、排泄物によって栄養が行きわたる。牛の前に道産子(馬)も放す予定で、彼らが笹など光をさえぎる草木を食べてくれれば、健全に木々が育つ山林を復活できると考えています」
山の入り口には平飼い養鶏のための鶏舎をつくり、産みたての卵を販売する計画もある。放置された山林を活性化することは環境面だけでなく経済的な合理性も生む。
「こうした山地酪農の有効性が実証できれば、土地面積が限られた地域でも放牧酪農を導入できる可能性が広がります。放牧は広大な土地がある北海道でしかできないという常識を覆し、全国で放牧酪農が始まれば、おいしいグラスフェッド・ミルクがたくさん手に入るようになる。そうなれば、それをつかったおいしいお菓子もつくれるようになる。僕たち製造者側にも、それを食べる方々にも、みんなに恩恵があるはずです」
「おいしいお菓子をつくりたい」。その想いから始まったユートピアアグリカルチャーの挑戦は、日本の酪農のあり方や、その先にある気候変動の抑制にまで、新たな可能性を示している。さまざまな立場の人々、そして動物と人間が手を取り合い、一緒になって希望ある道を探る。その姿勢にこそ、危機を乗り越えるためのヒントがあるのかもしれない。
ユートピアアグリカルチャー
「22世紀に続く酪農とお菓子の環境づくり」をコンセプトに放牧酪農による牛乳や、平飼い養鶏による卵をつかって菓子製造をおこなう。平飼い卵と放牧牛乳&飲むヨーグルト、リジェネラティブ・アグリカルチャーに関する記事と活動報告を掲載した冊子が届く定期便「GRAZE GATHERING」も展開中。
●情報は、『FRaU SDGs MOOK 話そう、気候危機のこと。』発売時点のものです(2022年10月)。
Photo:Moe Kurita Text & Edit:Yuriko Kobayashi
Composition:林愛子