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脳出血で倒れたワーママ、その後の日々③ 5ヵ月の入院を経てついに帰宅! 目標だった「仕事、料理、運転」の復活は?
脳出血で倒れたワーママ、その後の日々③ 5ヵ月の入院を経てついに帰宅! 目標だった「仕事、料理、運転」の復活は?
COLUMN

脳出血で倒れたワーママ、その後の日々③ 5ヵ月の入院を経てついに帰宅! 目標だった「仕事、料理、運転」の復活は?

2021年7月後半のある日曜日の午前中に、突然倒れた本サイトの制作担当、私ことエディター・ライターの萩原はるな。脳卒中の一種である「脳出血」と告げられ、命に別状はなかったものの、右手右脚がまったく動かないという状況に! それから長〜いリハビリ病院生活を経て、装具と専用靴を装着し、ツエに頼りつつも歩けるまでに回復。5ヵ月ぶりに家族の待つわが家に帰ってきました。

――第1回目「倒れた日」はこちらーー

――第2回目「リハビリ病院での日々」はこちらーー

見慣れた廊下なのに長い! 以前と違う感覚にショック

子どもたちが通う小学校の体育館で、ビーチボールバレーしていた最中に突然倒れた私。リハビリ専門病院での生活を経て、夫と子どもが待つわが家に帰る日がやってきました。自分のことだけしていればよかった病院での日々は終わり、中学受験まっただ中の娘、小学4年生の息子と向き合う生活がはじまります。

学生時代から30年以上(!)住んでいるマンションには、倒れた夏以来、5ヵ月間一度も帰っていませんでした。エレベーターから部屋までの廊下が果てしなく遠く感じ、玄関の段差が思っていたより高いことにびっくり。装具と装具用の靴を脱ぐのもひと苦労! う〜ん。日常生活に慣れるまで、そうとう時間がかかりそうです。

退院当日の夜は、私の不在中週に何度も通ってきてくれた私の母と夫、子どもたちとみんなが大好きな小籠包のお店へ。子どもたちに挟まれながら、ビールひと口ですっかり夢心地に! 帰宅後は規則正しい寝息をたてている子どもたちの顔を見ながら、「あ〜、無事に帰ってこられたなあ」と幸せをかみしめたのでした。

退院から半年以上たったころ、都内のビアレストランに取材&撮影へ。左手でカメラを持ちつつ、なんとか右手でシャッターを押せるようになった

のんびりリハビリ三昧だった日々とはうってかわって、忙しくも幸せな日常が戻ってきました。まず痛感したのが、何をするにも、ものすごく時間がかかるということ。退院当初は右腕に痛みがあって上げられず、指もほぼ動かなかったため、着替えにトイレ、食事、装具をつけて外に出る準備、いちいち時間がかかります。情けないことに、出かける前に疲れてしまう始末……!

それでも日々の雑事に追われるうち、右手と右脚はだんだん動かせる範囲や速度、持久力がアップ。退院1ヵ月後には装具なしで、半年後にはツエに頼らなくても歩けるようになりました。右手がほとんどつかえないため、左手でツエを握ると荷物が持てないという問題があったのですが、これで解決! ただ、ツエがないと「少し足を引きずっているふつうの人」に見えてしまうため、優先席やエレベーターをつかいにくい(譲ってもらえない)というデメリットはあるのでした。

夏、熱狂的なヤクルトファンの息子と神宮球場へ。スタンドの急な階段をツエなしで歩ける日がくるとは!

リハビリ病院で掲げていた目標は、「仕事、料理、運転」の3つの復活でした。仕事は、右手でメモを取れなくなった分、左手のへたくそメモとスマホでの録音で取材をなんとかクリア。原稿書きは左手のみのタイピングをマスターし、少し速度は落ちるものの問題なく文字を打てるように。入院時からパソコンを持ち込んで、仕事相手などに近況報告メールを送っていたので、退院後もスムーズに仕事に戻ることができました。

「Do well by doing good.」の制作も、入院中に電話で打診されたのがはじまり。「入院しているので、抱えていた連載などはいったんストップしています」と伝えたところ、「そうか、じゃあ編集長を任せるのに、むしろベストなタイミングだったんじゃん!」と言われ、絶句したものです(もちろん、とてもありがたいことではあります)……!

退院して模試の結果を見たところ、第一志望校の合格率30%という脅威的数字を叩き出していた娘。必死に過去問を解きまくり、なんとか合格。私も4月から、毎日お弁当をつくる生活がはじまった。食べ盛りで魚嫌いの娘のお弁当は、茶色率高め

料理はというと、なんとか右手で包丁をもって粗めの千切りができるまでに回復しました。ただ、魚をさばいたりジャガイモの皮をむいたりといった、指をつかう作業はなかなか難しい。こねるとかかきまぜるとか、両手でガッツリおこなう作業も苦手。かつては料理本マニアで料理番組も見られる限りチェックしていた私ですが、「この作業はできないだろうな」とネガティブな気持ちになってしまうからか、いつしか見なくなってしまいました。

おかげで、新しい味が登場しなくなったわが家の食卓。でも、私が不在時に「つくれる料理は野菜炒めとキムチ鍋、袋ラーメンのみ」と豪語していた夫による食事で鍛えられた(?)せいか、子どもたちは「お母さんの料理はやっぱりおいしい! 前とぜんぜん変わらないね」と、うれしいことを言ってくれます。もう少しよくなったら、いろいろ挑戦するからね!

最後の目標だった運転は、リハビリ病院での厳しいシミュレーター訓練(何度、画面上で人をひいてしまったことか……)と長年の運転経験のたまもので、徐々に遠出もできるように。ただ、右手をつかうとすぐに疲れてしまうのが難点です。右脚のアクセル&ブレーキは問題なし。なにより、左手のポテンシャルにはおどろくばかりです。「左手くん」ひとりで、パソコンもハンドル操作も、ハシをつかっての食事も歯ブラシもこなしているわけですから……! 以前はずっとベンチ(補欠)だったのに、いまやすっかり主力選手です。

7月に鹿児島・奄美大島へ出張。ツエもいらなくなり、階段を上り下りするスピードも少しずつアップ

そんなわけで、不自由な右手と不器用な左手での生活も、なんとか慣れていきました。不便なことはたくさんありますが、そんなことは言っていられません。中学生と小学校高学年になり、子どもたちは反抗期真っ盛り。彼らにとって私は、生まれる前から「ずっとそばにいるお母さん」。すぐに私に後遺症が残っていることも忘れて、全力で甘えて頼って、ときには反抗したり無視したりする存在に戻ってしまいました。

最初は「お母さんの右脚と右手の代わりに、ボクがなるね!」と健気なことを言っていた息子も、数ヵ月後にはすっかり元どおり。夫も、ほぼ入院前と変わらない生活を送っています。退院直後は、表参道の美容院に行く私を地下鉄で送ってくれたっけ……(遠い目)。

それも含めて、あたり前の日常を送れることが、今の私にはつくづくありがたいのです。

──倒れて2年! 現在の生活に続きます──

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――第2回目「リハビリ病院での日々」はこちらーー

――詳しい経過は「ミモレ」連載でどうぞーー

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