日本のマチュピチュ!? 徳島の秘境「祖谷」で生き抜く人びとの“たくましすぎる”暮らし【前編】
徳島市内から西に車を走らせること2時間半〜3時間。池田市を過ぎ、大歩危・小歩危(おおおぼけ・こぼけ)の大パノラマ渓谷を抜けると、日本三大秘境のひとつに数えられる地区、祖谷(いや)にたどり着きます。この地の人びとは、山の急斜面に家を築き、傾斜地に畑をつくり、集落内の高低差がなんと390mというところも! まさに“天空の里”で生きる人たちの、美しくもたくましい暮らしを紹介します。
世界農業遺産にもなった「にし阿波の傾斜地農耕システム」

傾斜地に少しでも平らな土地を設けるため、土地の斜面側(低いほう)に石を積み上げて嵩上げ、補強するのが祖谷のやり方
曲がりくねった山道から集落に入ると、道路はさらに細い急坂になった。あたりの斜面には、へばりつくように石積み(石垣)で支えられた畑が広がり、その間にポツポツと家々が建っている。

早朝、こんにゃく芋を煮るハマ子さん。こんにゃくをつくるのに必要な灰汁は、自分たちの畑で育てたそばの実の殻を炒ったものをつかう。/磯貝農園 そらの宿 磯貝 美馬郡つるぎ町 貞光字三木枋109
ここは美馬(みま)郡つるぎ町貞光の三木枋(みきとち)集落。永続的に暮らしているのは、たった3世帯だ。そのひとつ、磯貝家では、勝幸さん、ハマ子さん夫妻が農業をしながら、農家民宿「そらの宿 磯貝」を運営し旅人を受け入れている。

三木枋集落内の傾斜地にある畑。そば、粟、こきび、裸麦、たかきびなど季節によってさまざまな雑穀を栽培する
にし阿波地域の険しい山の斜面中腹には、こうした集落が数多くある。この地の人びとは、本来は耕作が難しい急斜面に畑をつくり、知恵を絞って自給自足的な農業をおこなってきた。世界的にも珍しい独自のスキルと土地の活かし方が評価され、「にし阿波の傾斜地農耕システム」は2018年、世界農業遺産に認定、登録されている。

大根を丸ごと干す。冬期3ヵ月で親指程度の太さまで縮む。だんだん捻(ねじ)れていくことから「ねじぼし」と呼ばれる
この日は磯貝さんの民宿に泊まり、プチプチとした歯触りが楽しい郷土料理、「そば米雑炊」や自家製こんにゃくなどを夕食としていただいた。そばの実をひかずに粒で食べる方法が、にし阿波には古くから伝わっている。ひいて麺やそばがきにするより何倍も手間がかかる。それでも食べ継がれてきたのは、つくる過程で塩をたっぷりつかうそば米は保存がきくから。日常的には粟などの雑穀を食べ、来客時や正月などハレの日にはそば米を食した。
「夏のお盆の頃は空高く飛んでいた赤トンボが、晩夏には低く飛び始める。そういうトンボをわれわれは『ソバマキトンボ』と呼んで、そばの種をまく合図にしてるんだ」(勝幸さん)

「干し芋」の仕込み。芋を茹で、皮を剥いて厚めにスライスしたら小さな穴をあけ、そこに藁(わら)ヒモを通す。ヒモで連ねた状態のまま塩を入れた鍋で炊き、2ヵ月くらい干すと完成
斜面を開拓した限られた土地では、雑穀を中心とした作物を時期に応じてつくる多毛作が基本。作物の植え替え時期には、斜面の下に向かって徐々に落ちていく畑の土をかきあげて戻す「土上げ」をしながら、等高線に沿って畝(うね)をひく作業が欠かせない。
「父は畝をまっすぐひけるんですよね、僕はどうしても斜めになったり曲がっちゃう」
この集落で生まれ育った磯貝さん夫妻の息子、一幸さんは笑う。彼は結婚を機に隣町に移り住んで会社勤めをしていたが、高齢になった両親の姿を見て、この集落での暮らしを引き継ぐ決心をしたという。いまは家族が暮らす隣町から、毎日車でここに通って農業をしている。

畑の土上げをするための鋤(すき)道具「サラエ」。かつてはどの集落にもいた「野鍛冶屋さん」が年に一度くらい、ボロボロになったサラエの刃先を足しては、各家庭の畑の傾斜に合う角度に調整してくれたそう
実はハマ子さんも大阪での会社勤めなどをへて、この集落にやってきた。いまから47年前の話だ。
「お義母さんが腰が曲がって大変そうだったから、自分たちが畑仕事をして、お義母さんには子どもと家のことをやってもらおうと思って」

祖谷川は吉野川に流れ込むまでの山間に深い渓谷を刻む。立ちはだかる山は杉の木で覆われ、雪がしんしんと降り積もっていた
ハマ子さんは夫とともに農業を引き継ぐ決意をした。
「最初のうちはどの作業も、なんでこんなに手間のかかるやり方をするのか意味がわからなかったけど、いまでは、どれも理由があって、昔の人がひと手間ひと手間加えていったことがわかる。効率は二の次なんよ」(ハマ子さん)
翌朝早く、磯貝さん夫妻はまた庭先に出て、こんにゃくの仕込みなど、それぞれの仕事を始めていた。
▼中編につづく
●情報は、FRaU S-TRIP 2023年4月号発売時点のものです。
Photo:Kazumasa Harada Text:Kanami Fukuda(euphoria factory) Composition:林愛子