徳島・鳴門で見つけた伝統と革新、「ドイツパン」「大谷焼」「イス工房」そして「食用コオロギ」!【中編】
ときには海上交差点として、ときには兵庫県・淡路島と橋でつながる“四国の玄関口”として、人やモノが行き交い、しなやかに変化してきたSDGs先進県・徳島の「鳴門」。海辺のまちに息づく、古くて新しいものを探しにいきましょう。
ご近所の“ドイツさん”

鳴門で少し意外なのがドイツとのつながりだ。第一次世界大戦の後、この町には約1000人のドイツ兵捕虜が暮らす「板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所」が存在した。暗澹(あんたん)たる気持ちにもなるが、ここは珍しく開放的な収容所で、捕虜となった彼らは意外にも文化的な生活を送り、地域の人とも積極的に交流したという。なかでも熱心に取り組まれたのが音楽活動だ。地域の人を招待し100回を超える演奏会を開いた。当時、ベートーヴェンの交響曲第9番がアジアで初めて全楽演奏されたことは有名だ。地域の人びとも彼らを「ドイツさん」と呼んで親しみ、進んだ技術や文化を採り入れていった。

鳴門駅近くにある「ドイツ軒」では、その歴史を窺い知れる。初代店主が捕虜になったパン職人のもとで修業を積んだのがきっかけで、1919年に徳島市で創業。その鳴門支店として1937年に開業したのがここだ。

その製法を受け継いで、現在は3代目の岡則充(つねみつ)さんがパンを焼く。ドイツパンはもちろん、戦前からつくっているという甘い菓子パンも変わらない人気メニューだ。

焼きたてのフォルコーンブロートを口に運ぶと、ドイツパン特有の、それでいて食べやすい全粒粉の風味がパッと口中に広がった。
現在進行形のかたち

地形的な理由から、常に外からの影響を受けてきた鳴門。この町のものづくりにも、それは表れている。まずは鳴門の焼き物、大谷焼。江戸後期にお遍路旅にやってきた大分の焼き物師が大谷村を訪れ、この地の土をロクロで成形し焼き上げたことがその始まりだ。現在6軒の窯元があるが、「森陶器」では、かねてより藍甕(あいがめ/藍染め用の甕)や睡蓮鉢などの大物を焼いてきた産地特有の大きな登り窯が一般開放されている。

「平地に築き上げたものでは日本最大級の登り窯です」と5代目の森崇史さんが案内してくれた。昭和後期の閉窯からずいぶん経つが、付着した薪の灰が高温で溶けガラス質になった壁が、その歴史を伝えている。

大谷焼の土は鉄分が多く、焼成すると赤茶色になる。森陶器ではいまもこの土地の土をつかい、土づくりも自らおこなう。伝統的な大谷焼が質実剛健な日用の器なのに対し、京都で学んだ磁器の製法を採り入れた森さんの器は端麗で繊細。けれど、そこに迷いはない。
「これからも地元の土をつかって、伝統を守りながらも現代のニーズに合ったものづくりをしていきたい」

鳴門には木工の町という顔もある。明治期、それまで盛んだった造船業が衰退すると、多数の船大工が家具職人へと転身し、戦後は木工業が発展した。そんななか、国内外にファンを増やすのが「宮崎椅子製作所」だ。昭和の創業より鏡台のイスを下請けで製造してきたが、需要は減少。その技術力を活かし2000年に始めたのが、国内外の外部デザイナーとのコラボレーションでつくるイスの自社ブランドだ。アイテム数は現在80を超え、その売り上げの4割が海外の卸先だ。

なかでもデンマークのデザイナー、カイ・クリスチャンセン氏による名作「No.42」を復刻製造できる工場は、世界でもここだけなのだとか。製造は機械と約30名の職人の手によるハイブリッドでおこなう。

代表の宮崎勝弘さんいわく、「効率化は大事ですが、機械を的確に動かすためには職人さんの腕や勘が欠かせない」。事業成功の秘訣を尋ねると、「会社を大きくしすぎないこと、でしょうかねえ」と静かに語った。

同じものづくりでも、コオロギを“生産”しているのがフードテックベンチャー「グリラス」だ。徳島大学大学院の研究者を中心とするチームが、持続可能な動物性タンパク源のあらたな選択肢として、コオロギに着目し2019年に起業。現在は食用コオロギの生産や商品開発、販売をしている。

スタッフの池田未歩さんに連れられて飼育室へ行くと、驚いたのはそのムダのなさ。たった8畳ほどの空間を30℃で管理するだけで、孵化(ふか)から1ヵ月で数百万匹のコオロギを“収穫”できる。おまけに与える乾燥餌は、私たちヒトの食品ロスだけを原料にして開発したものという。できるだけ環境に負荷をかけず、持続可能であること。ここでは学術研究をもとに、そんな生育サイクルまでがきっちりデザインされている。

「コオロギは『陸のエビ』とも呼ばれていて、エビに似た香ばしさがありますよ」と、池田さんにいただいたクランチを恐る恐る口に入れると……おいしい! チョコの甘さのなかに、穀物っぽいコクが感じられた。
▼後編につづく
●情報は、FRaU S-TRIP 2023年4月号発売時点のものです。
Photo:Shintaro Miyawaki Text:Yu Ikeo
Composition:林愛子