松田青子×松尾亜紀子が語る、フェミニズムの現在地【後編】
社会的、文化的に形成された、ジェンダーという概念。心理的な自己認識や置かれた環境によって一人ひとりが抱く問題意識は違います。今回は、「フェミニズムの現在地」のテーマを軸に、作家の松田青子さんと「エトセトラブックス」代表の松尾亜紀子さんに語り合ってもらいました。
縦と横のつながりのなかで
声を聴き次につなげる
松田 フェミニズムを自分とは関係ない思想とか、専門的な知識が必要だと思う人もいるかもしれないけれど、意識しなくても結構みんなフェミニズムを体内に搭載しているぞと私は考えいて。女性として生きることに違和感を持ったり、何かがおかしいんじゃないかと疑問を抱いたり、自分はもっと違う生き方をしたいと模索したり。そういう一つひとつの思いや行動が実はフェミニズムなんですよね。
松尾 その通りだと思う。フェミニズムは個人のなかにある。フェミニズムとは何かと聞かれたら、私は「性差別をなくす思想であり運動」だと答えることが多いのですが、性差別があればそこにフェミニズムが必要になる。
松田 そうそう、あらゆる場所にフェミニズムが必要だし、フェミニズムがある。この間、公園で近くにいた女性たちがあるフェミニズムの運動を批判していたんです。でもその後に、夫やまわりの人がいかに育児をしている自分の現状を理解してくれないか、日々モヤモヤすると話していた。そのモヤモヤとさっきまで批判していた問題は全部つながっているし、ただそれがフェミニズムだって気づいていないだけなんじゃないかと思いました。
松尾 松田さんは『持続可能な魂の利用』で、育児や低用量ピル、セクハラ、痴漢など日本で生きていれば誰もが直面する問題を書いていますよね。この小説を読むと、フェミニズムが自分の日常と地続きだってわかると思う。
松田 性差別って小さい頃から積み重なっているものだから、ひとつのできごとを取り出して、これだって言えないんです。
松尾 そうなんです。子どもの頃からずっと、おもちゃや洋服からテレビ番組や本まですべてが男女に分けられていたから、私も言葉にするまで時間がかかりました。
松田 家父長制のなかで教育を受けて成長してしまったので、違和感の正体に気づけなかった時間がすごく長い。それがすごく悲しいなっていまになって思います。『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』という短編集では、いまだから気づける昔の嫌だったこと、自分にかかっている呪いを解体していきたいって気持ちがありました。
松尾 そのなかの「許さない日」で、ブルマへの恨みが言語化されています。松田さんが書いてくれた、ブルマをはかされることの嫌さを、あの頃の友達と共有できたならどれだけよかったろうと思う。
松田 『スタッキング可能』に収録されている「もうすぐ結婚する女」に、ストッキングがいかに気持ち悪くて不経済かってことを細かく書いたシーンがあるんです。「Tilted Axis Press」を設立したデボラ・スミスさんが「これを読んで初めて、ストッキングが文学になり得るんだと気づいた。文学というのは書かれて初めてそうだとわかる」と言ってくれて。
松尾 素晴らしいですね。
松田 以前は、こんなこと書いても誰も喜ばないかもとか、これは小説なのかなとか、考えることもあったけど、ここ数年は、むしろ男性中心の文学界でこれまで書かれなかったこと、文学だとされてこなかったことを、わざと細かく書くことが私のブームで(笑)。『男の子になりたかった~』の「この世で一番退屈な赤」では生理について書いていますが、われわれは生理のことを大きな声で言っちゃいけないと教えられて育ってきた。だから、ナプキンも小さなポーチに入れて隠し持って。それって、この社会が男性中心だからであって、逆の世界だったらそんなことはしていないはず。自分が生きているうえで感じてきた不思議を一つひとつ書いていきたいです。
松尾 松田さんはウーマンリブのスローガン「個人的なことは政治的なこと」を実践していますよね。個々の小さなできごとや思いを細密に書くことで、政治的、社会的な問題が見えてくる。
松田 過去の女性運動の本を読むと、フェミニズムの出合いとして語られる個人の体験や違和感が共通しているなって思う。石川優実さんが責任編集をした「エトセトラ VOL.4」の「女性運動とバックラッシュ」特集でも、個別の体験や思いが「自分だけじゃなかった」と気づくことで運動が大きくなっていくようすが書かれていました。私はいつも、人は連続体である、ということを意識して小説を書いています。個人であると同時に連続体であり、個々にはじまったものが継承されている。
松尾 自分の抱く違和感が構造によるものだと気づくことが、連帯、シスターフッドを生んでいきますよね。2021年3月に出版したカン・ファギルさんの『別の人』という本は、複数の男女の視点を断片的に描くうちに、性暴力が起きる構造をあぶり出していくような作品です。
松田 週末に一気読みしました。その構造によって、女性たちは自分が性暴力を受けていることにすぐに気づけなかったり、どうすることもできなかったり、それぞれ苦しむ。実はみんな加害者に同じ言葉を言われていたところなど、わかりすぎてつらい。
松尾 激しいレイプシーンはなく、脇役の男性のモノローグが続く章もある。でも読んでいるうちに、すべてが無関係ではなく、こうやって男性中心社会がつくり上げてきた性差別構造で性暴力が生まれてきたんだと気づく。私は2019年4月に始まった性暴力に抗議するフラワーデモに、呼びかけ人として参加していますが、フラワーデモについて「これまで声を上げてこなかった女性たちがようやく話しはじめた」という言い方をされることがあります。でも実際は社会が女性たちの声を聴いてこなかっただけ。聴く力がなかったと言い換えるべきなんです。
松田 女性たちはずっと声を上げ続けていますよね。
松尾 『持続可能な魂の利用』は女性たちがずっと闘ってきたこと、声をあげてレジスタンスしてきたことのつらなりを書いていると思います。フェミニズムにおける「持続可能」とは、声を聴いて次につなげるということなのかなって。私もこれまでたくさんの女性と仕事をしたり、先輩方と会ったり、過去の運動を知ったりすることで、自分を連続体のなかで捉えるようになりました。
松田 過去や未来の人とも、いま生きて同じ場所にいる人とも、つながりのなかにいる。縦と横の連続体であるという、意識を忘れないようにしたい。
松尾 誰もが個人的な問題から出発しています。それぞれが自分の問題を知ること、自分のなかのフェミニズムを見つけるところから始まるのだと思います。あとは、自分を大事にすること!
松田 ラブマイセルフ、大切なことですね。
PROFILE
松田青子 Aoko Matsuda
1979年、兵庫県生まれ。作家、翻訳家。2013年、『スタッキング可能』でデビュー。20年、英訳版『おばちゃんたちのいるところ』が、TIME誌やニューヨーカー誌の小説ベスト10にランクインし、レイ・ブラッドベリ賞の候補になる。近刊に『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』がある。
松尾亜紀子 Akiko Matsuo
1977年、長崎県生まれ。編集プロダクションを経て、河出書房新社に編集者として15年間勤務したのち、2018年に独立。フェミニズム出版社エトセトラブックスを設立。21年1月、東京・新代田にフェミニストのための書店「エトセトラブックスBOOKSHOP」をオープン。性暴力に抗議するフラワーデモ発起人。
●情報は、FRaU2021年8月号発売時点のものです。
Photo:Ayumi Yamamoto Text:Obiko Takehana Edit:Asuka Ochi
Composition:林愛子