ブラジルのコーヒー農家を一変させた、フェアトレードとの出合い【前編】
コーヒーの生産地として知られるブラジル・ミナスジェライス州で、コーヒー農家の息子として生まれ育ったパウロ・フェレイラ・ジュニアさん。傾きかけていた実家の農園は、フェアトレードと出合うことで息を吹き返しました。その経験を活かし、現在は中南米生産者ネットワーク団体CLAC(フェアトレード・インターナショナルメンバー組織)のマネージャーを務めるパウロさんに、ブラジルのコーヒー農家の現状やフェアトレードについて伺いました(前編)。
祖父母の代からのコーヒー農園が存続の危機に!
パウロさんが父のコーヒー農園を手伝いはじめたのは、まだ高校生だった16歳のころ。その後大学に進んでフェアトレードの概念と出合い、22歳で生産者組織に加入。フェアトレードでのコーヒー栽培をスタートさせた。
「加入したフェアトレード・オーガニック・スペシャリティコーヒー生産者組織『コープファム』で、コマーシャルマネージャーに抜擢されました。このとき私は22歳。組織は若い世代にチャンスを与えることを重要視していて、同い歳の女性2人も同時期に、コーヒーの品質管理をチェックする重要なポジションを任されました」
フェアトレードコーヒー生産者組織の中心メンバーとなったパウロさんだが、当時はまだ、フェアトレードの知識はあまりなかったという。
「大学の授業の一環ではじめて知ったときには、なんて興味深い取り組みなんだと驚きました。当時、父の農園は非常に厳しい時期で、資金繰りに四苦八苦していたんです。借金をするだけでは足りず、祖父や祖母から受け継いだ農地2ヘクタールの一部を処分しようかという話が出るほど、厳しい状況でした」
小規模農家の厳しさを目の当たりにしていたパウロさんは、農園を継ぐのをやめようかと考えていたという。
「そんなときにフェアトレードと出合い、資金面で保証されるため、小規模農家でもやっていけると知りました。農家であっても、プロフェッショナルとして知識をつければビジネスを展開できる。それからは組合のミーティングに積極的に参加して、考え方や仕組み、具体的な農法などを学びました」
フェアトレード実践で価値観が変わった!
フェアトレードとは、「公平・公正な貿易」。私たちが日々購入する食品やアイテムの裏には、立場が弱く、原料を安く買い叩かれがちな小規模生産者がいるのが実状だ。そこで1997年に、公正な取引によって世界の貧困問題を解決し、生産者の持続可能な生活を目指して設立されたのが国際フェアトレードラベル機構(フェアトレード・インターナショナル)。同機構は、生産者に適正価格の保証と代金の前払い、長期的な取引などのフェアトレード基準を設定。「プレミアム」と呼ばれる奨励金の上乗せも基準化し、生産者たちがより品質の高いものを継続的につくれるようサポートしている。
「環境や生産者にやさしい肥料の指導や、コーヒー豆と飼料などの倉庫を分けるなどといった条件を学び、実際におこなっていきました。一番苦労したのは、価値観をリセットすること。30年間伝統的な農法で栽培を続けてきた父には、とても難しかったようです。これまで受け継がれてきた農法を頭から取り払って、新しい栽培法に切り替えることに、苦労する仲間の農家も少なくありません。新たなチャレンジがうまくいかず、最終的に農地を手放すケースもあるのです」
フェアトレードの考え方が入ってくるまで、ブラジルのコーヒー農園ではたくさんの化学肥料をつかうのが一般的だったそう。環境にやさしい肥料の存在さえ知らなかったパウロさん一家は、苦労しながら新たな栽培法にチャレンジしていった。その結果、驚くべき効果があらわれたという。
「農業への考え方そのものが変わり、コーヒーだけでなく、フルーツや野菜も一緒に育てる方法を知ることができました。シェードツリー(日影樹)を植樹することでコーヒー豆の品質や収穫量がアップ。フェアトレード組合のトレーニングで最新の知識を仕入れることができ、ほかの農家との情報共有も活発におこなうようになりました」
フェアトレードと出合ったことで、コーヒー栽培に関することだけでなく、ものごとに対する考え方や価値観が大きく変わったとパウロさん。
「フェアトレードに参加する以前は1ポンド1ドル以下だった買取額が、1ドル20セント以上にアップしました。世界的な物価の上昇を受けて、現在のフェアトレード基準では1ドル40セントにもなっています。最低価格が保証されたことから、わが家の財政状況は格段に向上しました。借金も2〜3年で完済でき、農場の整備に資金を回すことも可能になったのです。正しい農法を知って実践することで、コーヒーの質が上がり収入もアップ。設備投資をしてさらに収穫が増えていくという、好循環が実現しました」
生産者として「フェアトレードに取り組まない理由はない」と断言するパウロさん。自らの生活が一変したという実感があるからこそ、その言葉には強い説得力があった。
―――後編では、周囲の変化と気候変動への挑戦を伺いますーーー
text:萩原はるな