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作家・小川哲が小説『地図と拳』から考えた、戦争のメカニズムと平和のつくりかた
作家・小川哲が小説『地図と拳』から考えた、戦争のメカニズムと平和のつくりかた
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作家・小川哲が小説『地図と拳』から考えた、戦争のメカニズムと平和のつくりかた

「なぜ日本は戦争に突き進んでしまったのか。初めて第二次世界大戦について学んだ小学生の頃から漠然と抱いていたこの素朴な疑問に立ち返ってみようと考えました」

小説『地図と拳』の出発点についてこう話すのは作家の小川哲さん。本作は、満州の架空都市を舞台に、日露戦争前夜から第二次世界大戦に至るまでの半世紀の顛末とその背後にあるドラマを、史実とフィクションを織り交ぜながら描いた歴史小説です。

戦争を決断した過去は、現在と地続きである

「アメリカや中国、ロシアのような大国を敵に回しても勝てるはずがないことは子どもながらにもピンときました。なのに開戦という無謀な決断が、どうして当時の日本で受け入れられてしまったんだろうと。昔の人は愚かだったと決めつけるのは簡単ですが、過去と現在、未来はあくまで地続きで、戦争をした彼らと私たちは同じ人間です。どんな必然性があってその決断に至ったのか、戦争のメカニズムを自分なりに納得したいなと。それが同じ過ちを繰り返さないために必要なことだとも考えました」

本作で描かれる時代の満州は、日本が日露戦争の戦勝国としてその一部の権益を得た地。人々はこの未開の土地に大きな期待を寄せ、国をあげて理想郷の建設に力を注いだ。一方でアジア・太平洋戦争へと続く中国との衝突の発端や戦場にもなり、多くの血が流れた場所でもある。小川さんはこの満州を取り巻く歴史こそが「20世紀前半の日本の縮図」だと考えた。

一帯の都市計画を担う南満州鉄道の要職に就く者、後に満州国を象徴する建造物の製作に携わる建築家の卵、愛国心を拠り所にする憲兵など、複数の視点によって展開する作中、一貫して存在感を放つのが細川という人物。序章では義和団事件下の満州に赴く密偵の通訳という端役だったかと思えば、後年には自らシンクタンク・戦争構造学研究所を立ち上げ重要人物に。彼はそこで若手のエリート軍人や官僚とともに〈仮想内閣〉を開き、地政学と政治学の観点から日本と満州の10年後を予測し、日本政府はいかに対応すべきかを見通すことを試みた。

「書き進める上で考えていたのは、日本が後の大戦で大敗を喫することを知っている僕や読者が、もし当時にワープしたら何ができるのかということでした。その視点を乗せた人物が細川です。彼は戦争構造学研究所で未来を予測する過程で、日本には敗戦が待っていると悟る。その中であれこれと画策しベストを尽くそうとします」

“千里眼”を持った細川の暗躍も徒労に終わり、日本は史実通り開戦への道を突き進む。その展開は、歴史に対する小川さんなりの深い思案の末にたどり着いたものだ。

「どの時点で別の判断をしていればアジア・太平洋戦争を避けることができたかという問いは、様々な学者によって考察や議論がなされています。例えば1941年にアメリカから提示された交渉文書『ハル・ノート』を受け入れていればギリギリ引き返せたと考える人もいれば、日露戦争に勝った時点ですでに避けられなかったと説く人もいて。いろんな立場で書かれた文献を読む中で、僕は後者の説にある意味説得されました。というのも、日本は日露戦争に勝ったとされているけれど、実際には10万人近い人が戦死し多大な犠牲を払っていて、得たのは韓国の保護権や満州の多少の利権だけ。戦争賠償金で国内の経済が潤うこともなく、とてもじゃないけど勝ったとはいえない状況です。それが日本が満州に過剰に投資することに繋がっていったとも言えるのではないかと。だから仮に細川のように先を見通せる人物がいたとして、大戦を避けるために何かできる時点があったとしたら、日露戦争の開戦前だったのかなと思いますね。あくまで想像に過ぎませんが」

メンツの張り合いが、争いをより複雑にする

こと満州に関して、本作に取り掛かる以前の知識はほぼまっさらな状態だったという小川さん。執筆に向けて一から史実やさまざまな歴史解釈にあたる中では、ほかにも戦争を回避する困難さに直面した。

「意外だったのは、当時の有力者たちの中にも戦争を避けようと説く人が一定数存在したことです。僕はもっと国中が戦争に向けて沸いていたと思っていたので、新鮮でした。でもならばなぜ避けられなかったのか。そこには“メンツ”が関係しているんじゃないかなと。『中国人に馬鹿にされて黙ってはいられない』というような、メンツを守るために引き下がれないという発想が当時の軍人たちの間で強くなっていて、負けると分かっていても突き進まざるを得なかった。それは人間関係においても起こることですよね。喧嘩をした時、謝れば早いし、ここで言葉を返せば相手の怒りを助長すると分かっていても、意地を張ることで回避できず拗れることが往々にしてある。だから戦争を止める上では、互いの損得を説くのではなく、どうやったら双方のメンツを立てられるかが重要。論理的でなく感情的な要因が含まれるものだからこそ解決しづらいんだなと感じました」

自分と異なる視点をストックしていく

歩んできた歴史を広く深く振り返れば、当時の日本の過ちを冷静に見つめられる。しかしまさに今歴史の渦の中にいる多くの当事者たちにとって、物事の正否を客観的に見定めるのがいかに難しいかは、『地図と拳』の登場人物たちが教えてくれることだ。では未来に同じ過ちを起こさないために私たちはどうあるべきか。小川さんはこう話す。

「僕たちは、過去の人々のことはもちろん、自分が理解できない行動をしている人や集団を見ると、『あの人たちは愚かだ』と一蹴してしまいがちです。でも、彼らの価値観や視点に立てば、それはベストな行動なのかもしれませんよね。世の中には自分と違う価値観や視点、情報を持って物事を考える人がいるというのを前提にして、なぜ彼らがその行動をしているかを理性的に見つめる眼差しが必要なのかなと。それによって初めて時代を俯瞰的に見つめられるのではないでしょうか。そこで助けになるのがフィクションに触れること。歴史物語であれ近未来を舞台にしたSF作品であれ、異なる社会環境に置かれている人々のドラマに触れることは、異なる価値観、視点に気づくきっかけを与えてくれます。平たく言えば、想像力を養ってくれるということ。それが小説や映画の価値だと思います」

『地図と拳』:第168回直木賞、第13回山田風太郎賞を受賞した小川哲さんの長編3作目。日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮の半世紀。『小説すばる』にて2018~21年に連載されていた。集英社刊。

PROFILE◆小川哲 おがわ・さとし:1986年千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。17年には、『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞した。最新作は『君のクイズ』。

●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。

Photo:Ayumi Yamamoto(portrait & book) Text & Edit:Emi Fukushima Composition:林愛子

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