「どこまでが被害者なのか?」小林エリカ×キム・スムが考える、文学にできること【前編】
今起きている戦争や紛争の引き金には、貧困や差別を始め、個人から世界レベルまで、さまざまな問題があります。世界が争いへと向かわないために、まずはその根源にあるものと向き合い、何が起きているのかを考えることから始めましょう。漫画家・作家の小林エリカさんと、作家のキム・スムさんの対話から、現在の平和への課題を知り、未来のためにできることを考えます。
可視化されない痛み、文学にできること
著作『親愛なるキティーたちへ』で、13歳のアンネ・フランクと16歳の実父、戦争という同じ時代を生きたふたりの日記に導かれ、ドイツ、ポーランド、オランダをめぐった日々を綴った小林エリカさん。歴史のなかで語られてこなかった人の人生に光を当て、小説などの執筆を続けている。そんな彼女が言葉を交わしたいと熱望するのが韓国人作家のキム・スムさん。彼女もまた、これまで可視化されてこなかった誰かの痛みに耳を傾け、伝えようとする作家のひとりだ。海を越えた作家同士の対談は、小林さんからキムさんへの一通の手紙から実現した。

小林 お手紙にも書いたのですが、キムさんの作品のなかで日本語に翻訳されている『ひとり』『Lの運動靴』『さすらう地』の3冊は、私が作家活動を続けるうえで大きな支えになっています。初めて読んだのは旧日本軍「慰安婦」の方々の証言記録を引用しながらフィクションを立ち上げた長編小説『ひとり』でした。実際の証言記録に忠実に寄り添おうとしながら、その向こうにあるものまでをもつかもうとするキムさんの姿勢に深く感銘を受けましたし、「被害者」という括りだけにからめとられてしまうことなく、ひとりの人間の持つ悲しみや苦しみ、喜びや、人生の複雑さをそのまま捉えようとする試みに胸打たれ、励まされました。
キム お手紙をいただいて、とても嬉しかったです。私は文学者として、誰かの話を聞いてそれを丁寧に扱い、伝えていくということを大切にしているのですが、今回いただいたお手紙を読んで、私たちが目指していること、興味関心には多くの共通点があるのではないかと感じました。例えば戦争であれ、なんであれ、被害者と加害者を二分法的に捉えるのではなく、平等に捉えて書いていきたいという考えは小林さんと同じく、私も強く持っています。
小林 私は今、第二次世界大戦中に学徒動員され、風船爆弾づくりをしていた女学生たちの人生についての本を書いています。彼女たちは選択の余地なく戦争に加担させられた被害者であり、同時に兵器づくりを行った加害者でもあります。何より、ひとつの人生を生きるひとりの人間である。その複雑さみたいなことを複雑なまま描いてみたいと強く思っているのですが、戦時中のような、自分が体験していない時間を思い描く時に、どれほど自分が既成概念に囚われているかを思い知らされます。そんななか、キムさんの作品には徹底的に史実に寄り添い、誇張しない、そして人としての尊厳を傷つけないという姿勢が貫かれていて感動しますし、そこから生まれた言葉だからこそ、誰かの悲しみや苦しみが切実に迫ってくるのだと感じます。
キム 私は歴史のなかで消された存在、みんなから忘れ去られた“幽霊”みたいな人々について書きたいと考えていて、それで「慰安婦」についての小説を書きたいと思ったんです。でも証言記録を読んだり、リサーチをしたりするなかで、そこには単純に被害者と加害者がいるだけではない、そんな二分法的な、単純な視点で書くことはできないと気づかされました。ひとりの「慰安婦」の方の個人の歴史について知ろうと思うと、その方だけでなく、彼女を取り巻くその他の人々がどんな暮らしをしていたのかも知る必要が出てきます。さらに植民地時代の韓国はどんな状況だったのか、歴史的背景についての理解も欠かせません。ひとりの女性がその時代をどう生きたのか、その人生を小説のなかできちんと復元するためには、当事者の証言だけではなく、もっと多角的な視点が必要だし、その他大勢の人の話も平等に書かなければいけない。ある意味それは底なし沼にハマっていくような感覚でしたけれど、どうしても必要な作業でした。

小林 以前キムさんは「被害者についての話はつまるところ人間の話であり、文学作品とは結局、人間について話すために書かれるのではないでしょうか。ひとりの人間の人生を詳しく知ろうと努力すれば、一方が加害者で一方が被害者という単純で暴力的な思考をしないようになるのではないか」というお話をされていました。私はその言葉をいつも胸に留めています。もちろん作家の中にはフィクションとして、想像だけで立ち上げていくというやり方で書いている人もいると思うし、価値があることだとは思うけれども、やっぱり私はキムさんに近いやり方で、これまで見えてこなかった人々の人生を描きたい、書き留めたいという強い気持ちがあります。忠実でありたいと願うほど出てくる迷いの気持ちがあるからこそリサーチに時間をかけますし、できるだけ誇張せず、その人やそれを取り巻く人々の尊厳を傷つけないやり方を探したいと思っています。
キム 人間の内面の複雑さというか、人間は善も悪も持っていますよね。無知や周囲との関係性によって、ときに悪の行動を起こしてしまうこともあります。だからこそ誰かの人生について書く時、その人のある一点の歴史だけに視点を集中させて、この人は加害者だとか被害者だとか、安易に断罪してしまってはいけない。『ひとり』を書きながらそれを悟った時、小説を書くことにどれほどの価値があるのか、はっきりとわかったんです。
▼中編につづく
PROFILE
小林エリカ Erika Kobayashi■1978年東京都生まれ。目には見えないもの、歴史、家族の記憶などから着想を得て、丹念なリサーチに基づく史実とフィクションからなる小説や漫画、インスタレーションなど幅広い表現活動を行う。作品にイラストも手がけた絵本『わたしは しなない おんなのこ』(岩崎書店)など多数。
キム・スム■1974年韓国蔚山生まれ。97年に『大田日報』の新春文芸(文学新人賞)、98年に文学トンネ新人賞を受賞しデビュー。歴史の中に埋もれた人々の痛みを見つめ、人間の尊厳の歴史を文学という形で蘇らせる試みを続けている。2015年に韓国で最も権威ある文学賞、李箱文学賞を受賞。
●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。
Illustration:Erika Kobayashi Text & Edit:Yuriko Kobayashi Composition:林愛子
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