上白石萌音「広島を旅して、戦争の痛みや苦しみは続いていると痛感しました」【前編】
俳優として役になりきることで、さまざまな人生を経験してきた上白石萌音さん。数年前には、戦争で夫を失い、子どもを抱いて空襲から逃げる、戦時下での女性を演じたこともありました。これまでも本や資料館で歴史に触れてきたという彼女が、広島に残る戦争の足跡を訪ねることに。世界恒久平和を願って建設された平和記念公園や、復興のシンボル「おりづるタワー」などをめぐり、原爆を体験した語り部の方にも会って、過去と向き合い、未来に思いをはせた1泊2日。そこで何を感じ、どう考えたのか。平和のために戦争を知る、学びの旅が始まります。
復興した「ヒロシマ」で、たしかにあった悲劇に触れる
太平洋戦争で広島に原爆が投下されて78年。原爆犠牲者の冥福と世界の恒久平和を願う、祈りの場所を旅する上白石萌音さん。おりづるタワーの展望台から緑あふれる平和記念公園を眺めて、復興した美しい街の風景に喜びがこみ上げる。
「広島というと真っ先にショッキングな歴史が思い浮かびますが、こうして街を見ていると、過去のことばかりでなく、ここで生活している人たちがいて、未来に進んでいるんだなということに希望を感じます」
焼け野原になり、この先75年は草木も育たないだろうといわれた広島が、年を重ね蘇っていく映像を見て、街が再生する力にも驚く。
5年ほど前、舞台出演で訪れたときにも、ひとりで公園を歩いたという萌音さん。核兵器の悲惨さを伝える原爆ドームや慰霊碑を回り、あらためて戦争の悲劇と向き合った。
「公園になっているドームの周辺も、昔は日本家屋が立ち並ぶ賑やかな街で、川の向こうには旅館街があったと聞きました。この周囲にふつうの暮らしがあったんだと思うと、こみ上げるものがありますね。被爆した建造物がそのまま残されているのは、原爆を体験した人にとってはあまりに苦しいことと思いますが、この建物が残ったのにも意味があるんだろうなと思います」
爆心地に近かった学校跡地にある本川小学校平和資料館にも足を延ばす。当時のまま残された階段、地下室の焼け跡、溶けたガラス瓶……壮絶さを物語る、一つひとつの展示をじっくりと眺め、深い悲しみとともに平和への思いを強くした。
▼後編につづく
PROFILE
上白石萌音 かみしらいし・もね
俳優、歌手。1998年鹿児島県生まれ。2011年芸能界デビュー。以降、映画、ドラマ、舞台、歌手として数多くの作品に出演。
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