精神科医・星野概念が北海道・浦河で見た、悩みや弱さを分かち合う「ぺてるの家」【前編】
北海道浦河町に、精神疾患を抱えた当事者たちが悩みを共有しながら暮らす、コミュニティ「べてるの家」があります。互いに支え合い、病院に入ることなく町で働き、地域とともに生きる。その取り組みの場所を、精神科医の星野概念さんと訪れました。
語ることの文化を、回復のキーワードに
北海道南部沿岸の浦河町。人口1万2000人ほどの過疎の町にある「べてるの家」には、全国から重い精神疾患を抱えた人たちがやってくる。しかし、ここは病院ではない。統合失調症による幻聴や妄想があっても、アルコール依存症やうつ病などがあっても、病院ではなく地域で生きていく、それを叶えるための活動拠点である。
脆(もろ)さを抱えた人たちによって成り立つ組織の毎日は簡単ではなく、問題だらけだ。パニックになって家具を壊したり、鍵を飲み込んだり、道端で寝たり。警察のお世話になることもしばしば。活動の要となる日高昆布の製造販売や、いちごのヘタ取り作業にしても、当日の朝にならないと誰が出勤してくるのかわからない。なのに、ぜんぜんピリピリしていない。
「自分がいる病院や施設と違って、精神疾患がある人たちが伸び伸びとしている。それが実際、どういう場所なのかを体感したかった」という精神科医の星野概念さん。当事者スタッフの案内で作業所やグループホームを回り、名物といわれるミーティングにも参加させてもらった。
星野さんが言う、当事者たちの「伸び伸び」の理由のひとつが、月に100回以上は開催されている多様なミーティングの存在だ。ここでは各々が、統合失調症ドラマチックタイプ、精神バラバラ病、明るい躁うつ病笑い型など、医学的な診断名でなく自分で考えた病名で自己紹介をし、幻聴を「幻聴さん」、頭に浮かんでくる思考を「お客さん」と、親しみを込めて呼ぶ。調子が悪いことをバラバラとか、ぱぴぷぺぽなんて言っていると、深刻さが笑い飛ばされるという。
こうして病気の苦労や悩みを公表して、一緒に考え、支え合う。日々のあらゆる些細な問題がミーティングの題材となり、弱さを共有することが絆となり、仲間が増えて場が豊かになる。だから、べてるでは、病気であるほど「順調」という。
1978年、町内の総合病院に初の精神科のソーシャルワーカーとしてやってきたのが、べてるを立ち上げた向谷地生良さんだ。
「さまざまな領域を経て精神医療に足を踏み入れたとき、その異質さに驚きました。患者さんに巻き込まれないように、とにかく距離を取るよう教えられる。彼らは柵のある倉庫のような暗い部屋に入れられて社会と断絶させられる。絶望的なことでした。そのときにメンタルヘルス最大の課題はこれだとピンときたんですよね。そしてむしろ積極的に、彼らと近い距離を取ろうと思った」
「患者に住まいを知られたら大変だからね」と周囲からアドバイスされると、逆に、自宅の住所も電話番号もすべて名刺に書いて配る。電話が鳴れば早朝でも夜中でも駆けつけた。そのうち、通院患者4~5人と教会で共同生活を始める。言われたことの反対をとことんやった。
「勝手に患者さんと住むなんて、いま考えたら大問題ですよね(笑)。同じ屋根の下にいる、ただそれだけなんですが、見えてくるものがあるんじゃないかって。実験でしたね。かつてロンドン郊外のスラム街で、中産階級の人たちが貧困層の人たちと一緒に暮らしながら貧困の原因を解き明かしていったのがいわゆるソーシャルワークの始まりといわれますが、私はアイヌの人たちが何代にもわたって積み重ねてきた苦難と生きづらさの歴史が残る浦河で、それをやってみたかった。浦河へ来て、町で一番困っている人を紹介してくれと言って最初に出会ったのが、何代にもわたりアルコール依存症に苦しむアイヌの家族だったんです」
そして84年、地下活動しながら準備していた、べてるの家を本格始動する。一方で、勤務していた病院の医者からの評判は悪くなり、ついには精神科病棟を出入り禁止に。3年半、彼らと住んで得た答えといえば、“治す”発想からさらに離れることだった。そうしてさまざまな試みと失敗、行き詰まりの末に、ミーティングに始まる対話的なシステムにたどり着く。
なかでも、べてるの歴史は、ミーティングのひとつとして行われる当事者研究の歴史といわれる。そこでは苦労を共有して、当事者同士で対処法を話し合う。対処法を試してダメなら、また別の自分を助けるやり方を考える。同じ苦労に共感が生まれることも多い。
「べてるの場合は、プラス思考でなく、苦労思考。当事者研究でも、何をやりたいかより、これからどんな苦労があるか、どんな苦労を選ぶかを聞くんです。いい意味でニヒリスティックなんですよ。だって精神科の病気が治っても、癌になるかもしれないし、人間はちゃんと毎日老いている。アルコール依存症にしても、今日は飲まなくても明日は飲むかもしれないという、エンドレスな旅ですよね。自分はそういうところで生きていたいんです。これには個人的なルーツでもある、キリスト教の影響もあるかもしれません。イエスも評判の悪い弟子12人を選んで情けない旅を続け、予定通りに処刑される。そういう意味での悲惨な順調さ、情けなさを大事にしていくことに価値があるんですよね」
ギャンブル、幻聴、子育てなど、あらゆるテーマでとにかく対話を続ける。先日、スタッフがコロナを巻き散らしているという疑心暗鬼から刃物を向けてしまった女性も、徹底的にミーティングを重ね、入院することなく危機を乗り越えた。
「治療するためという発想ではないけれど、気がついたら対話が一番治療的であるという可能性はあるかな」と、向谷地さん。そうやって約40年。数名から始まったメンバーは現在120人を超え、町の精神科の病棟に130床あったベッドは、べてるの活動が盛り上がるにつれて段階的に減り、2014年、ついには廃止になった。
「現場で試行錯誤しながら当事者研究に行きついたのにも驚いたし、悩んだとき、職員さんに相談するのではなく、当事者同士が自主的に話してアイデアを見つけるやり方が根づいている場所もなかなかない。たとえば、一方的に与えるような治療では、自分で考えてこうしようという力がどうしたって失われていく。それは相当暴力的なことだと、僕は思うんですよね。皆の考える力、想像する力を感じました」(星野さん)
PROFILE
星野概念 ほしの・がいねん
1978年生まれ。精神科医、ミュージシャンなど。総合病院に勤務し、在宅医療や救命救急などを担当。発酵や漢方からもヒントを得て、さままざな心の不調と向き合っている。近著に、いとうせいこうとの共著『自由というサプリ』。
●情報は、FRaU2021年1月号発売時点のものです。
Photo:Tetsuya Ito Text & Edit:Asuka Ochi
Composition:林愛子