ふるさと納税が小さな村を変えた!木造校舎、再生の物語
過疎が進む村で、廃校の危機から息を吹き返した校舎があります。地域の人々が交流し、文化や観光の拠点となった「喰丸(くいまる)小」。再生への村民の思いを支えたのは、ふるさと納税でした。
40年以上前に廃校になった小学校
福島県西部に位置する昭和村。山あいを縫うようにして10の集落からなる村には、1200人ほどが暮らしている。村内の喰丸地区に喰丸小学校が建てられたのは、1937年のこと。戦後から高度経済成長期にかけて、多い年には100名以上が在籍したものの、都市部への人口流出が進むにつれて生徒数は減少し、1980年に廃校となった。当時、村にいくつかあった廃校が解体されていくなか、ポツンと取り残されるように旧喰丸小学校だけがこの場所にとどまり続けた。
しかし、つかわれなくなった建物の傷みは早い。追い打ちをかけるように、毎冬の雪による木造校舎の老朽化を案じた住民からは、取り壊しの要望が寄せられた。その一方で、2009年に映画『ハーメルン』のロケ地として使われたように、旧喰丸小学校は村を訪れる人を魅了し、いつしかこの土地の風景の一部として昭和村を象徴する存在に変化していた。
そして2015年、校舎の再生を願う人たちの粘り強い署名活動と住民アンケートによって存続が決まったものの、改修にかかる金額は1億円以上。財源の限られた小さな村が費用を単独で工面するには限界があった。その頃、事業の担当についた役場職員の小林勇介さんは、「村の文化を理解し、工事を行う意図と村民の想いに共感してくれる人を増やしていく必要がある」と、ガバメントクラウドファンディング(GCF)に着目した。ふるさと納税制度を活用し、具体的な使いみちを示しながら、地域を応援しプロジェクトに共感する人からの寄付を募ったのだ。
寄付の目標額は2400万円も、
10分の1すら集まらない日々
2017年、旧喰丸小学校の再生プロジェクトがようやく始動した。目標金額は2400万円。無謀な額だという意見もあったものの、村の負担を考えた末、当初の意向を通すかたちでスタートした。すべり出しの動きは鈍く、目標の10分の1の支援にも満たないままに時間だけが過ぎていった。
その後、ウェブ媒体での呼びかけに力を入れたほか、出身者をはじめ、昭和村にゆかりのある人々に対して数百通もの手紙をしたため賛同を募った。彼らの発した想いは“共感”というかたちで次第に広がり、プロジェクトを終える頃には365名から総額1234万7000円の支援金が寄せられた。
結果について小林さんは、「決めたからには目標額を達成したかった、正直くやしい気持ちもありました。ただ、工事が着々と進んでいくなかで多くの方が共感してくださり、50%を超える寄付が集まったのは非常にありがたかったです」と話し、言葉を続けた。
「結果的に再生が叶いましたが、もし壊していたら、私たちはルーツと呼べる大切なものを失っていたのかもしれません。古くからの暮らしの知恵や技術を途切れさせないよう受け継ぐ村にとって、あのような場所を直して残すこと自体が次世代の支えとなり、昭和村“らしさ”として誇れることなので」
こうして多く人の共感は、寄付という具体的な行動を通じて小さな村の木造校舎を未来につないだ。廃校から38年ぶりに息を吹き返した校内に一歩足を踏み入れると、使える古材は再利用し、往時の佇まいを残したかたちで修復されていることに驚かされる。喰丸小は再び村の学び舎(や)として、この場所に集う人々に慕われながら、村の文化を育み伝えていくことだろう。
福島県 昭和村 喰丸小
2018年春に昭和村の交流・観光拠点施設としてオープン。校舎内には、図書室、音楽室に加え、展示やイベント、会議など多目的に使用できる集会室(要予約)がある。校舎内の見学は自由。現在も昭和村では事業推進のために、ふるさと納税を実施中。
昭和村大字喰丸字宮前1374 ☎0241-57-2124
営業時間:9:00~17:00 定休日:月、火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
www.vill.showa.fukushima.jp
●情報は、FRaU SDGs MOOK Money発売時点のものです(2020年11月)。
Photo:Takuro Komatsuzaki Text:Misaki Nakajo Edit:Asuka Ochi
Composition:林愛子
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