“人間も自然の一部だ”と気づき、森と共生するための新しい「森林浴」
日本の森林率は、現在約67%ですが、適切な整備がなされないまま放置されている森がたくさんあります。このことは植物、昆虫、動物の生態系に関わり、私たちの暮らしにも多くの影響を及ぼします。木が育つのは何十年、森が育つのは何百年もかかるといわれます。日々、森を歩き、木に触れることで見えてきたこと、そして未来について、木と森に関わるスペシャリストに話を伺います。今回は一般社団法人「森と未来」代表理事の小野なぎささんが、東京都立長沼公園の森を歩きました。
森に入って五感を研ぎ澄ます
古来、人は森のなかで暮らし、進化を続けてきた。森との関係が希薄になった現代において、かつてのつながりを取り戻す活動をしている森と未来代表理事の小野さん。人も自然の一部であるという感覚を取り戻すための「森林浴」とは、どんなものなのか。

東京都立長沼公園の風景。住宅街近くに広がる、広葉樹を主体とした豊かな森。奥に見えるのは八王子市中心部の街並み。日本で木や森に触れられる環境は多いが、実は都市部近くにも森はある
「森林浴」とは、森に入って清浄な空気を吸い、心身の健康や癒やしを図ること。小野さんは、これまでのべ2500人を森へ案内し、森林浴を広めるために活動してきた。
「森林浴と聞いて、かつては『怪しい』と言われたこともありましたが、実際に森に入ることで、ストレスホルモンが減少するなど、森林浴がもたらす効果の科学的エビデンスが多数示されてきました。いまでは海外でも日本発祥の“Shinrin-yoku”という言葉が知られ、人気が高まっています」

木漏れ日で遊ぶ。ノートの白いページに木漏れ日を当ててみると、葉の揺らぎが影絵のように美しく映える
森林浴をするのに、特別に用意する道具はない。歩きやすいウエアとシューズがあれば、あとは森に入って、佇む。それだけでいい。
「森林浴をわかりやすく説明するために、三大浴があるという話をしています。日光浴、海水浴、そして森林浴。日の光を浴びるだけで日光浴、海に行けば、水に浸からずビーチに寝転がっているだけでも海水浴といいますよね。森林浴も、森のなかで何かをしなければいけないということではありません。緑に囲まれ、木漏れ日を受けて、風や香りを肌で感じて、気持ちよくなれば、それが森林浴なんです」
まずは森に入りましょう、と案内してくれた場所は、東京都八王子市にある長沼公園。京王線長沼駅から徒歩5分、周辺には住宅街が広がるが、一歩足を踏み入れれば公園というより里山の森。クヌギやコナラを中心とする雑木林には湧き水が流れ、蛍が飛ぶ。森に入り、10分ほど歩いた場所で立ち止まる小野さん。

「私たちがつかう森は100年前から誰かが守ってきた森。100年後も誰かが癒やされる森でなければなりません」。新緑がまぶしい長沼公園の遊歩道で
「ここで好きな方向を向いて、目を閉じてください。人間には五感=五つの感覚があります。見る、聞く、香る、触れる、味わう。日常生活では、感じることの8割以上を目に頼っているといわれます。目を閉じたときに、他の感覚がどんな感じか探ってみましょう」
数分後、大きく深呼吸をして目を開け、どの感覚が一番響いたかを確認する。森の香り、肌に触れる風、川の流れる音や葉ずれの音……。ふだん、いかに視覚以外の感覚が鈍くなっているかを気づかされる。さらに歩を進めると、山椒(さんしょう)やクレソン、桑の実、クロモジ、木いちごなど、なじみのある植物がいたるところに生えているのもわかる。

小野さんが“ハグツリー”と呼ぶ木は、斜めに傾いて立っている。「木はどんなにイヤなことがあっても動けない。そこで生き抜くために、地中深く根を張り、踏ん張って、光を求めて枝を伸ばす。そんな姿から学べることは多い」と小野さん
「ちなみに、これは“ハグツリー”と呼んでいるものです」と少し斜めに立っている大きな木に身を寄せて、ハグする小野さん。真似してハグツリーにもたれかかってみると、どっしりとした木に抱きしめられているかのような心地よさ。ほかにも木漏れ日で遊んだり、森で昼寝したりと、小野さんガイドの森歩きは新たな発見の連続で、ただただ気持ちがいい。
「その感覚だけでいいんです。癒やしの効果という意味では、樹木が虫などから身を守るために放出するフィトンチッドと呼ばれる物質がありますが、その芳香成分に人間をリラックスさせる効果があると証明されています」
森を人の健康に活用したいと、長年メンタルヘルス事業に携わってきた小野さん。現在は森林浴を通して森林空間の活用を試みる。
「国土の大部分が森なのに、ほとんど放置されている現状を変えたい。木を伐(と)るだけでなく、森を空間ごとつかう発想で、健康や教育、観光など新たなサービスを提供する。それによって全国の森にお金が落ち、整備される仕組みをつくりたいと思っています」

実をつけた山椒がたくさん自生していた
小野さんが新しい森林浴の形を模索し続けるのは、森と人の関わりが希薄になっているという危機感があるから。
「日本人は元来、森と深く関わってきた民族です。八百万(やおよろず)の神を信仰し、伝統的な祭事にも必ず自然が関わっていました。いま私が活動しているのは、“人間も自然の一部である”という感覚をみんなに思い出してもらうため。それができたら、自然を『守ってあげる』ではなく、『ともに生きる』というつき合い方ができると思うんです。昔の日本には当たり前にあった、本来の意味での森との共生を取り戻したいと思っています」

公園内にある店「鎌田鳥山」は森歩き後のランチにおすすめ。切り盛りする3人と一緒に
PROFILE■小野なぎさ/森林を活用した研修プログラム開発、健康リゾートホテル事業、海外のメンタルヘルス事業の立ち上げ後、2015年一般社団法人森と未来を設立。森林空間を活用した新しい森林の利用に着目し、国内外で活動を行う。2019年林野庁の林政審議会委員に就任。著書に『あたらしい森林浴』(学芸出版社)。
●情報は、FRaU2024年8月号発売時点のものです。
Photo:Masanori Kaneshita Text & Edit:Chizuru Atsuta Composition:林愛子
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