石巻工房「みんなで家具をつくれば、震災復興はもっと早まる!」【前編】
これからのものづくりにサステナビリティは欠かせない視点。地球環境は守られているか。働く人たちへの配慮がされているか。残すべき伝統がきちんと次世代へ継承されているか。私たちはつくられた背景に賛同し、応援する気持ちで選びたい。つくり手の思いを聞きに、ものづくりの現場を訪ねました。今回は、宮城県の石巻工房へ。
東日本大震災から生まれた
みんなのDIY家具
「線が残っているでしょう、ここまで水がきたんです」
そう言って工房2階の事務所の扉を指差した千葉隆博さん。宮城県石巻市に拠点を置く家具メーカー「石巻工房」が、海にほど近いこの場所に工房を構えたのは2014年。11年3月11日、かつてワカメの乾燥工場だったその建物は3.5m近い津波に襲われた。工房長を務める千葉さんも、営んでいた鮨店が大きな被害を受け、命からがら逃げ延びたという。
究極にシンプルで機能的、かつ美しい家具。今や世界の家具業界から注目を集める石巻工房は震災直後に産声を上げた。といっても最初は家具メーカーではなく、被災した人々が家や店舗を自力で修復するための手助けをしたり、DIYの道具や材料を貸し出す市民工房的な場所だった。発起人となったのは建築家の芦沢啓治さん。震災直後、設計を手がけた飲食店の復旧のために石巻に入り、他店舗や住宅の修理にも参加した。そこで感じたのは、「ものをつくる人がたくさんいれば、もっと復旧が早くなるのではないか」ということだった。
「当時はあちこちで炊き出しがおこなわれていましたが、家財道具の大半が流されていて、椅子がないんですね。みなさんどこに座ったらいいのか困惑していて、ああ、家具って大切なものなんだなって。僕たちのようなものづくりをする人が多くいればいいですが、そうもいかない。ならば公共工房のような場所をつくって、被災地の方々に道具や材料、技術を提供すればいいのでは。そうすれば支援を待たずとも、復旧が早くなる。そう思ったのが始まりでした」と芦沢さん。
同じ頃、千葉さんは自分の店の修復に汗を流していた。以前から大工仕事に慣れていたため、たいていのことはできた。
「周囲を見ると、壊れたドアに、流れてきた畳を立てかけて雨風をしのいでいる家もあって。がれきの中には材木もあるから、それをつくって修理できるはずなのに、なんでやらないのかなって。でも経験や知識がないとDIYなんてできないですよね。そんな人たちにとって市民工房の存在はすごく助かったと思います」
工房の存在は口コミで広がり、石巻市の中心地にあった旧工房にはボランティアや地元の人たちが集まるようになった。次第に道具のつかい方に慣れ、自力で家や家具を修復する人の姿も増えた。そうして震災直後の混乱を乗り越え、工房も落ち着いてきた7月、石巻工房として初めての家具づくりが始まる。石巻地方最大の祭り「石巻川開き祭り」で開催する野外映画上映会で、地元の工業高校の生徒と一緒に会場のベンチをつくることになった。DIYの腕に覚えがある千葉さんも、この頃から顔を出し、手伝いをするようになっていた。
「道具と材料の寄付を呼びかけたところ、レッドシダーという材木を扱う協会から10トントラック一台分くらいの材木を提供していただきました。レッドシダーは耐久性があって雨に強い。屋外でつかうにはもってこいでした。上映会で使ったベンチはその後、街の公共ベンチとしてつかってもらいました。それが石巻工房の最初のプロダクトになりました」
工房の前には、当時高校生たちとつくったベンチが置かれている。
「街のベンチで隣り合わせになった人同士『どこから来たの?』『まだうちは復旧できていないよ』とか、会話が生まれる。そんなようすを目にすると、家具ってコミュニケーションを生むものなんだなって。当時つくったベンチはほぼ同じ形のままISHINOMAKI BENCHという名で石巻工房のシグネチャーモデルとして生産・販売しています」
▼後編につづく
Ishinomaki Home Base
カフェ兼ショールームでは石巻工房のプロダクトをはじめ地元作家のクラフトなども扱う。火曜定休。2階のゲストハウスは貸し切りや長期滞在も可能。宮城県石巻市渡波栄田91 ishinomaki-hb.com
●情報は、FRaU2023年1月号発売時点のものです。
Photo:Kei Taniguchi Text & Edit:Yuriko Kobayashi
Composition:林愛子