渦潮だけじゃない! 徳島県・鳴門で絶対見るべきはニュークラシックな「増田建築」群【前編】
ゼロ・ウェイストなどの取り組みだけでなく、その地に生きる人びとの暮らしに触れるのも、環境や未来を考えるサステナブルな旅。ときには海上交差点として、ときには四国の玄関口として人やモノが行き交うことで、しなやかに変化してきたSDGs先進県・徳島の「鳴門」。海辺のまちに息づく、古くて新しいデザインを探しに行きましょう。
巨大な地球のエネルギーを感じる「鳴門の渦潮」

2024年1月20日12時10分。看板に「大潮」と書かれたその時刻を目がけ、大鳴門橋には多くの人が集まっていた。橋桁にある遊歩道・渦の道から渦潮を見るためだ。淡路島と徳島をつなぐここ鳴門海峡は、瀬戸内海と太平洋の合流地点。2つの潮流がぶつかり合い、独特の地形も関係して、大きな渦が生まれる。

渦の道に立つと、下を見るだけで足がすくむ。が、すぐに海上の光景に圧倒された。右巻きの渦ができたかと思うと、今度は左巻きの渦。大小の渦があちこちで発生しては消え、を繰り返す。轟音とともにダイナミックに移ろう自然のショーに、息をするのも忘れていた。顔を上げると、西には穏やかな瀬戸内海が、東には太平洋が延々と広がっている。両者が混ざり合い、ぶつかりながらも調和していくここは、恐ろしくも美しい地球のエネルギーを感じられる場所。長く続く余韻が、聖地と呼ばれる場所を訪れた後のそれに似ていた。
ひときわ目を惹く18棟の近代建築

鳴門市内を流れる撫養川沿いに、ひときわ目を惹くコンクリートの塊がある。戦後の建築家・増田友也が設計した「鳴門市化会館」と「鳴門市健康福祉交流センター」だ。彼による近代建築が、鳴門には18棟も残っている。

低いひさしをくぐって健康福祉交流センターへ入ると視界が開けた。1階の階段下のスペースでは青い窓ガラスが、上階では4色の窓ガラスが廊下にカラフルな影を落としている。階段室では、天井に設けられた丸い窓が不思議な存在感を放っていた。

「彼の建築からは自然光へのこだわりが強く感じられます」と建築家・福田頼人さんが教えてくれる。彼は「くすの木建築研究所」を鳴門に構え、増田建築の魅力を伝える見学会や講演会をたびたび開いている。

「コンクリートの可能性や先進的な構造技術に挑戦した増田建築は、どれも近代建築の名作に値します。けれど10年前は、ほぼ誰も増田建築のことを知らなかった。こうした建築遺産をまちづくりに活かすべき、という思いに賛同する仲間が集まり、活動が広がっていきました」

しかしいま増田建築は、老朽化や経済的な理由から存続が危ぶまれている。2021年には彼の初期作品である市民会館が取り壊され、つづいて鳴門市庁舎の解体も決定した。彼の集大成である文化会館は休館中だが、耐震改修し利活用する予定というのが救いだ。

対岸から撫養川越しに2つの建物を眺めると、中央に並ぶコンクリートの板でつながっているように見える。「いまでは真相はわかりませんが……」と前置きして福田さんが言う。
「ル・コルビュジエが構想した都市計画をもとにつくった、インドのチャンディーガルというまちがあります。増田さんはそれと同じことを、ここ鳴門でやりたかったのだと思います。当初の計画では文化会館と健康福祉交流センターは2階の廊下でつながる予定でしたし、文化会館の階段の壁に設けられたスリット窓はちょうど市庁舎の方向を向いているんです」
高度経済成長期、人口が増え、まち全体が活気に沸いた時代。当時の鳴門の人びとは、こうした公共施設を前に町の未来を夢見たはずだ。

福田さんはいま、市民会館でつかわれていた木製ベンチをアップサイクルするプロジェクトに取り組んでいる。施設の解体前に、自ら「50脚ほど引き取ってきた」と微笑む。
「お金にはなりませんが、最近は本業以外のことばかり。だって、自分が住むまちが楽しいほうがいいじゃないですか」
生き生きと話す福田さんに、増田の姿が重なった。
──中編につづく──
●情報は、FRaU S-TRIP 2023年4月号発売時点のものです。
Photo:Shintaro Miyawaki Text:Yu Ikeo
Composition:林愛子