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脳出血で倒れたワーママ、その後の日々⑨ 倒れてから3年目の夏、動かなかった右手右脚のリアル
脳出血で倒れたワーママ、その後の日々⑨ 倒れてから3年目の夏、動かなかった右手右脚のリアル
FEATURE

脳出血で倒れたワーママ、その後の日々⑨ 倒れてから3年目の夏、動かなかった右手右脚のリアル

2021年7月後半のある日曜日の午前中に、突然倒れた本サイトの制作担当、私ことエディター・ライターの萩原はるな。脳卒中の一種である「脳出血」と告げられ、命に別状はなかったものの、右手右脚がまったく動かない状況に! 約5ヵ月のリハビリ入院を経て車イスを卒業、退院半年後にはツエなしで歩けるようになりました。退院からはやくも3年! 脳卒中がつないだ縁やリハビリについて、その後の日々をお届けします。

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3年たってできるようになったこと、まだまだ不自由なこと

何の前ぶれも心構えもないまま、突然脳出血(脳卒中の一種、脳の血管が破れる病気)で倒れ、右半身が自由に動かせなくなってしまった私。2週間の急性期病院(=病気が発生した際に治療を受ける病院)での治療を経て、約5ヵ月間リハビリ病院に入院しながら、リハビリ漬けの生活を送っていました。車イス生活を経て、退院時にはツエと装具に頼りながらも歩けるほどになり、1年後にはツエや装具に頼らずとも歩行できるように。ダランとしたままだった右手は、なんとか左手のサポートができるくらいに回復しました。

そして迎えた3度目の夏。3年前は、いきなり倒れて先行きがまったく見えず、急性期病院の病室のカーテンを閉め切ったまま、東京オリンピックを見ていたっけなあ。躍動する選手たちの姿を見ながら、「自由に動けていいなあ」なんて思っていたものです(もちろん、倒れる前も彼らほど俊敏に動けていたわけではありませんが)。3年たったいまは、スポーツこそまだまだ難しいですが、歩いたり買い物に出かけたり、出張に行ったりと、ほぼ人の手を借りずに社会生活が送れるようにはなっています。

夏休みに家族と行ったホテルのプールで泳ぐ息子。相模湾海と熱海の初島を一望できる絶好のロケーションにあり、私も一緒に泳ぎたかった!

ただ、思うように右の手脚が動かないため、魚をさばいたり果物をむいたりできず、趣味でもあった料理に「物理的にできないこと」が加わってしまったのが残念。小学校のPTA活動で子どもたちにビーチボールバレーを教えたり、ヨガに行ったりと、スポーツができないのもツライ! 

子どもとプールや海に行っても、水に入れないのも切ないところ。なにせ、通っている整体の先生に「陸でできることはどんどんしていいですが、水の中には入らないで! 左右の動きのバランスが取れずに、おぼれてしまうリスクがあるからね」とクギを刺されているのでした。

たしかに、右腕をグルグル回すのはムリだし、右脚も左脚のように素早く動かせないので、泳ぐのは難しそう。でも、水に入って歩くぐらいなら、もしかしたら!? 子ども用の浅いプールで、機会があればせひ試してみたい!と、ひそかに目論んでいます。

3年前の夏は、年に1度発行される『TRYラーメン大賞』の取材に入る直前に突如倒れ、多くの方々に迷惑をかけてしまった。去年に引き続き、2024年も取材に参加できて感無量。写真はやっと行けた、青梅の名店「Ramen FeeL」の絶品つけ麺

リハビリは2週に1回、自宅近くの病院に通所して受けていました。けれども2023年冬の終わりに、ヘルニアになってしまったことからやむなく中断することに。このときは本当に右腰と右脚が痛くて、立つのはおろか座ることもできず、寝ていても痛みのあまり起きてしまう始末。トイレに行くのもひと苦労で、病院には涙をこぼしながら行ったぐらい過酷な状況でした。

自分なりに思い当たるフシはありました。立てなくなる2週間くらい前、なんとなく腰が痛かったものの、ムリをして一日中立ったり歩いたりしてしまったのです。さらにその週末、息子の野球の練習の送迎と見守りがあり、酷寒の河川敷で過ごして全身が冷え切ってしまったのでした。とどめに、「行ったら楽になれる!」とマッサージに行ってしまった私。これがダメ押しになり(あくまで個人的な体感ですが)、帰りは電車で座ることすら困難な状態に!

結局、完治までまる2週間起き上がれませんでした。それでも締め切りは容赦なくやってくる! 25年以上に及ぶライターキャリアでも、ベッドで寝たまま原稿を書いたのははじめてです。ムリはできないな〜、とつくづく実感したヘルニア騒動でした。

爪先立ちになると、左右の脚の筋肉のつき方がまったく違うことがよくわかる

2週間、右の腰だけでなく右脚全体も痛かったため、まったく右脚に力を入れて立てなかった私。ただでさえ左脚頼みだったところに、さらに拍車がかかってしまいました。やっと立ち上がれるようになったものの、左右の足の筋肉格差が大変なことに……! 

筋トレに励む人びとがよく「筋肉は裏切らない」と言いますが、その分、動かさないとあっという間に退化することを体感。痛みが完全になくなったら、遠隔リハビリで教えてもらった「片足スクワット」に励もう!と心に誓ったのでした。

ちなみに腕は……というと、日々左手を中心につかっているため、左腕はいい感じに筋肉がついています。その反面、右腕は細くなってしまったなあ。右手のひらが薄っぺらくなっているのに気づいたときには、「手の平にも指にも筋肉ってあるんだ!」とびっくり。当たり前のことですが、退化する反面、つかえば厚みを取り戻せるはず。左手さんばかりに頼らず、右手くんにもがんばってもらわないとダメなんですね。

ふだんは左手のみでタイピング。ずいぶん片手打ちも早くなった。余裕があるときは、右手もおずおずと参加。ただ効率が下がるうえに、すぐ疲れてしまう(悲)

入退院3年目を迎え、当時リハビリ病院で同室だった、脳卒中フレンズに連絡してみることに。30代で脳出血に倒れ、左半身が不自由になり高次脳機能障害(記憶や注意など脳機能の一部に障害が起きること)が残ったAさん。退院されたころは、外出時には必ずつき添い人が必要でしたが、いまではタクシーなどでひとり外出ができるようになったそう。40代で脳動脈瘤の手術を受けたMさんは、左手よりも左脚に重い後遺症が残ったものの、最近はツエなし歩行ができているといいます。リハビリを卒業して、運転も再開できたとか!

3年たって、みんなそれぞれの生活のなか、子育てや社会復帰と並行して回復に励んできたんだなあ、としみじみ。涼しくなったら、ぜひ同窓会(?)をしようと誓い合った私たちでした。

──次回、脳卒中フレンズのその後に続きます──

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Text:萩原はるな

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