元証券マン漁師「宮城・雄勝の海に生涯を捧ぐ」【後編】
美しい地球を構成する水、土、森、海、山、川、植物……まわりにある環境を大切にすることはもちろんですが、そもそも自然とは人間が守ってあげるものではなく、むしろ私たちが守られ、多くのことを学ばせてもらう存在。今回は、三陸を舞台にした、漁師・三浦大輝さんの学びのストーリーを紹介します。
若手漁師たちがつくる
新しい漁業の形と未来
退職したことをすぐには両親に告げず、その後の身の振り方をひとり考えた。そこで直観的に思い浮かんだのが漁師だった。
「昔から魚を触るのが好きで、家で手巻き寿司をやっても自分だけシャリを握ってネタを載せるような子。寿司を握りたい欲が高じて大学時代に寿司屋でバイトもしてたんで。じゃあ漁師ええんちゃう? って感じで(笑)」
すぐに高知でマグロの遠洋漁業を行う会社を訪ね、働く許可を得た。
「その後、親に『ボク、マグロ漁船乗ることにしたわ』って報告したんですけど、まあ母親に泣かれまして……。これはちょっと考えなアカンなあと思っていたときに見つけたのが、『フィッシャーマン・ジャパン』。担い手の少ない漁業に新しい風を吹かせようとする姿勢や、震災で被害を受けた東北の漁業を盛り上げようという理念に共感して、ここで漁師になりたいなって思ったんです」
そこで参加したのが漁師学校だった。
「それまでは魚を獲る漁師か養殖か、どこの地域でどんな魚種を扱うかなど、漁師といっても具体的に何をやりたいのか、いまいちピンときてなかった。でも雄勝で体験をしてみて、養殖っていいなと。ボク、動物を育てるゲームとか昔から好きで(笑)。佐藤さんのところはホタテやホヤ、ギンザケなどいろいろな種類を育てていて勉強になりそうだし、何よりその人柄に惹かれて。人を雇う予定がなかったところを、お願いして働かせてもらったんです」
漁師学校の翌月、雄勝に移住した。海と山が近い雄勝に暮らすうち、「陸のものも育ててみたい」という思いが生まれた。
「ひとつには自給自足したいなという思い。鶏を飼って卵を産んでもらったり、罠猟の免許を取得してシカを獲ったりもしています。この間1頭罠にかかったんですけど、まあ解体が大変で、びっくりしました。佐藤さんのところで一緒に働く後輩の冨樫翔くんと畑もはじめました。翔くん曰く、大豆を育てて味噌と豆腐をつくり、最高の味噌汁にするのが目標だとか(笑)」
早朝からの作業を終え、すぐに畑に向かうふたりの姿を見送る佐藤さん。「地元の漁師じゃ考えられないよね。家に帰って寝るか、町に出て一杯やるかっていうのが当たり前。でも彼らを見てると、漁師の世界も変わったもんだなって思いますよ。ボクたちが彼らから学ぶことも多いんですよ」
雄勝に来てからの自分はどう変わったか。最後に三浦さんに聞いてみた。
「大阪にいた頃は人の目を気にして生きてたように思うけど、いまはそんなことなくなったかな。あと、くよくよしなくなりましたね」
それを聞いて佐藤さんはじめ、地元の人たちは「え、そんな男だったの⁉」とびっくり。その反応こそが、海の男として、人として、たくましく成長したという証なのかもしれない。
「漁師になってまだ5年目ですが、その短い間でもイセエビやタチウオなど、以前はこのへんにいなかったものが獲れるようになりました。海水温の上昇をはじめ、環境の変化は日々感じています。ボクたちの仕事は海に支えられています。漁業を担う世代として、何かできることはないか。これから若手漁師たちと一緒に考えていくことも大切だと思っています。まだ具体的なアクションを起こせていないのですが、少しずつでも行動に移せるように、考え続けていきたいと思っています」
海と出合ったことで、自分らしい生き方を見つけた三浦さん。今度は自分が恩返しをする番。ここ雄勝で、海と向き合っていく。
PROFILE
三浦大輝 みうら・だいき
1994年、大阪府生まれ。大学卒業後、証券会社に入社。22歳で宮城県石巻市雄勝町に移住し、漁師見習いに。2020年に県漁協雄勝湾支所の正組合員に。牡蠣の養殖などを手がける。
●情報は、FRaU2022年1月号発売時点のものです。
Photo:Kei Taniguchi Text & Edit:Yuriko Kobayashi
Composition:林愛子