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「平和ってなんだろう?」哲学者と学生が考える、私たちの平和 vol.1
「平和ってなんだろう?」哲学者と学生が考える、私たちの平和 vol.1
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「平和ってなんだろう?」哲学者と学生が考える、私たちの平和 vol.1

哲学対話とは日常のふとした疑問について対話し、考える場。ゴールは答えを出すことではなく、自分の言葉で話すこと。相手の話を聞くことで考えを深め、新しい価値観に出合うこと。哲学者の永井玲衣さんと6人の学生が、平和について対話しました。

今回の哲学対話のメンバーは……

永井玲衣 ながい・れい

哲学者。学校や企業などで哲学対話を実践し、みんなで話し、深く考える“手のひらサイズの哲学”を提唱している。

有銘萌乃 ありめ・もえの

明治大学文学部で哲学を専攻する4年生。現在休学中で、高校などで哲学対話のファシリテーターを務めている。

奥田時生 おくだ・とき

明治学院大学社会学部4年生。社会福祉学科で公的扶助について学ぶ。NPO法人にて福祉の現場にも従事している。

井田葉月 いだ・はづき

立教大学文学部史学科4年生。大学で永井さんの哲学対話の授業を受けたのをきっかけに対話に興味を持ち、参加。

池田直樹 いけだ・なおき

立教大学現代心理学部心理学科3年生。大学の授業を通して永井さんと知り合い、今回参加。ニックネームはケビン。

小林知世 こばやし・ともよ

社会人経験を経て慶應義塾大学の通信課程に再入学し、哲学を専攻。哲学対話サークルに所属し、対話を実践中。

片柳那奈子 かたやなぎ・ななこ

上智大学の修士課程で哲学を研究中。週の半分はイベント関連の会社に勤務する。永井さんの大学の後輩。

哲学対話で考える「私たちの平和」

今回、永井玲衣さんをファシリテーターに6人の学生と話し考えるのは「平和って、なんだろう?」という問い。対話の冒頭、永井さんから哲学対話のルールが説明される。人の話をよく聞くこと。そして偉い人の言葉を使わず、自分の言葉で話すこと。最後に「人それぞれ」にしてしまわないこと。哲学対話の目的は答えを導き出すことではない。だから最初に決めた時間がきたらそこで終わり。ゴールも成功も、もちろん失敗もない。

ある夜、東京・中目黒にある古着店〈DEPT〉の閉店後、ショップスペースを借りて開催した平和にまつわる哲学対話。永井玲衣さんの呼びかけで、哲学専攻や哲学対話に取り組む学生6人が集まってくれた

永井玲衣(以下:レイ) 平和ってすごい大きな言葉で、どうとっつきやすくするか自分でもよくわからないので、最初にみんなが「平和」って聞いた時にイメージするもの、具体的なところから話してみたいなと思うんだけど、どうですか?

池田直樹(以下:ケビン) 戦争がない状態。今のウクライナの人と比較すると、今の自分の生活はすごく平和なんじゃないかなと思います。

小林知世(以下:トモヨ) 思い浮かんだのは白い鳩。あとは、お布団の中はすごい平和だなって。私は勉強しながら仕事もしているんですけど、もしかしたらお客さんにクレーム言われるかもしれないって思うと毎日怖くて。お布団をかぶってる間はあったかくて心穏やかだから……。

有銘萌乃(以下:アリメ) 私は釣りが好きなんですけど、釣り堀で何も考えないでいる時間、しかも何も釣れない状態が一番平和です。

一同 えーっ!?

奥田時生(以下:トキ) 僕も最初に思いついたのは日常的な平和で、さっき平和って何だろうって考えてた時に、そこにあるマネキンがすごいピチピチなマスクをつけてて、僕がつけたらもっとピチピチになるんだろうなって思って(笑)。くだらないなって思った瞬間に平和だなって。僕たちは日常が平和で、そのなかにさらに一瞬の平和があるけど、ウクライナとか常に平和じゃないところでも、そういう一瞬の平和ってあるのかなって。

片柳那奈子(以下:ナナコ) 昨日たまたま趣味を聞かれた時に「散歩です」って言ったら、「平和だね」って反応が返ってきたんです。それを考えながら話を聞いてました。そうすると「釣れない釣り」みたいな穏やかな感じとか、凪の感じを想像して。散歩も何もしなくていいっていうか、誰かに何かを強いられるような感じじゃないので、それで平和って言われたのかなって。

井田葉月(以下:ハヅキ) みなさん日常に幸せを見出せてるなっていう印象で、私はそうじゃなくて、日常のなかに平和だなって思うことはあんまりなくて……。平和と聞いて想像するのって、穏やかで凪の状態だったり、暖かい日の光だったりとか、すごく抽象的だし大きすぎるし。自分の周りに落ちてこない、つかめない、あとは、届かないというか……。普段、実感として平和だって感じることはないっていう印象かなと思ってます。

レイ ちょっと聞いてみたいんですけど「平和」と「幸福」って違うと思いますか? みんなの話を聞いていて「平和」を「幸福」って言い換えてもあんまり問題ないような気がしてきて。みんなはどう? 「平和」と「幸福」ってぴったりイコールなのか、違うとしたらどこが違うのか。

輪になって座り、発言者の印である鳥の人形を回しながら対話する。発言者が話している時は耳を傾け、話の腰を折らないのが哲学対話の約束

ハヅキ 幸福っていうのは戦争がある世界でもありえる気がするんですけど、戦争がある以上平和はありえないんじゃないかっていう気がします。

ナナコ お金がたくさんある状況とかも幸福と言えると思うんですけど、例えば誰かだけがお金持ちでいい思いをしてる場合にも幸福という言葉を使えるかもしれないけれど、それは平和ではないのかも。誰かが割を食っていたりする時には平和という言葉は使えないのかなって。

トモヨ さっき、お布団の中が平和って言ってしまったなって思って……。私が仕事に行かなかった代わりに誰かが行ってよくないことが起きて、でも私はそれを回避できて心穏やかにいられる。私は幸せだけど誰かひとりでも幸せじゃない時は確かにあって、それは平和じゃないと思う。平和だって感じるのと事実平和であることって全然違うんだなって。私は幸せだなって積極的に感じるように自分でしてて、この世知辛い世の中を生き抜く術なのかわからないけど、平和だなって思い込もうとしてるのかもって思ったりしました。

トキ 僕も自分が平和だと思ってる向こうで苦しんでいる人がいたら、それは平和じゃないと思う。例えば僕がマネキンを見て笑う。でもマネキンがかわいそうだよって思う人がいたら、それは平和じゃないのかなって。周りのことを知ったり、世界と比較したりすればするほど平和って存在しなくなる。その平和ってここでの話でしかないよねって。じゃあ何が平和かっていうと、なんていうか絶対的な平和っていうか。トモヨさんが言った“事実平和”ってそういうことですよね。誰も苦しまないっていうことが平和なのかなって。

アリメ 幸福は自分自身を幸せにしてるってことだけど、平和は自分だけじゃなくて、みんなが幸せな状態なのかなって。そう思った時に、自分に近い人が幸福だったら平和って言っていいのか、それとももっと世界規模なのか。日本は平和ボケしてるって言われますけど、それもその規模感なのかなって。平和ってどれくらいの規模が関係してくるのかなって疑問に思いました。

トキ 世界が苦しんでるから僕らが平和って言っちゃいけないって言われると、なんかそうじゃないんじゃないかと思います。小さな規模であっても、そこに誰も傷ついている人がいないのであれば、僕らは平和って言っていいはずだし、それを主張したり、掲げていっていいと思います。

▼vol.2につづく

●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。

Photo:Saki Yagi Text & Edit:Yuriko Kobayashi Composition:林愛子

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