【戦後80年】「平和って何だろう?」哲学者・永井玲衣と学生6人が哲学対話 vol.1
哲学対話とは日常のふとした疑問について対話し、考える場。ゴールは答えを出すことではなく、自分の言葉で話すこと。相手の話を聞くことで考えを深め、新しい価値観に出合うこと。哲学者の永井玲衣さんと6人の学生が、平和について対話しました。
今回の哲学対話のメンバー
永井玲衣 ながい・れい

有銘萌乃 ありめ・もえの

奥田時生 おくだ・とき

井田葉月 いだ・はづき

池田直樹 いけだ・なおき

小林知世 こばやし・ともよ

片柳那奈子 かたやなぎ・ななこ

「平和」と「幸福」はイコールなのか?
永井さんをファシリテーターとして6人の学生が考えるのは、「平和って何だろう?」。冒頭、永井さんから哲学対話のルールが説明される。「人の話をよく聞くこと。偉い人の言葉をつかわず、自分の言葉で話すこと。『人それぞれ』にしてしまわないこと」。哲学対話の目的は答えを導き出すことではない。だから最初に決めた時間がきたらそこで終わり。ゴールも成功も、もちろん失敗もない。

東京・中目黒にある古着店「DEPT」の閉店後、そこを間借りして開催した平和にまつわる哲学対話。永井さんの呼びかけで、哲学専攻や哲学対話に取り組む学生6人が集まってくれた
永井玲衣(以下:レイ) 平和ってすごく大きな言葉で、どうとっつきやすくするか自分でもよくわからないので……。まず、みんなが「平和」って聞いたときにイメージするものを具体的に話したいなと思うんだけど、いかがですか?
池田直樹(以下:ケビン) 戦争がない状態。ウクライナの人と比較すると、いまの自分の生活はすごく平和なんじゃないかなと思います。
小林知世(以下:トモヨ) 思い浮かんだのは白い鳩。あとは、お布団の中はすごい平和だなって。私は勉強しながら仕事もしているんですけど、もしかしたらお客さんにクレーム言われるかもしれないって思うと毎日怖くて。お布団をかぶってる間はあったかくて心おだやかだから……。
有銘萌乃(以下:アリメ) 私は釣りが好きなんですけど、釣り堀で何も考えないでいる時間、しかも何も釣れない状態が一番平和です。
一同 えーっ!?
奥田時生(以下:トキ) 僕も最初に思いついたのは日常的な平和で、平和って何だろうって考えてたときに、そこにあるマネキンがすごいピチピチなマスクをつけてて、僕がつけたらもっとピチピチになるんだろうなって思って(笑)。くだらないなって思った瞬間に平和だなって。僕たちは日常が平和で、そのなかにさらに一瞬の平和があるけど、ウクライナとか常に平和じゃないところでも、そういう一瞬の平和って、あるのかな。
片柳那奈子(以下:ナナコ) 昨日たまたま趣味を聞かれたて、「散歩です」って答えたら、「平和だね」って反応だったんです。それを考えながら話を聞いてました。そうすると「釣れない釣り」みたいなおだやかな感じとか、凪(なぎ)を想像して。散歩も何もしなくていいっていうか、誰かに何かを強(し)いられるような感じじゃないので、それで平和って言われたのかなって。
井田葉月(以下:ハヅキ) みなさん日常に幸せを見出(みいだ)せてるなっていう印象で。私はそうじゃなくて、日常のなかに平和だなって思うことはあんまりなくて……。平和と聞いて想像するのって、おだやかで凪の状態だったり、暖かい陽の光だったりとか、すごく抽象的だし大きすぎるし。自分のまわりに落ちてこない、つかめない、あとは、届かないというか……。ふだん実感として平和だって感じることはないと思ってます。
レイ ちょっと聞いてみたいんですけど、「平和」と「幸福」って違うと思いますか? みんなの話を聞いていて「平和」を「幸福」って言い換えてもあんまり問題ないような気がしてきて。みんなはどう? 「平和」と「幸福」ってぴったりイコールなのか、違うとしたらどこが違うのか。

輪になって座り、発言者の印である鳥の人形を回しながら対話する。発言者が話しているときは耳を傾け、話の腰を折らないのが約束
ハヅキ 幸福っていうのは戦争がある世界でもありえる気がするんですけど、戦争がある以上、平和はありえないんじゃないかっていう気がします。
ナナコ お金がたくさんある状況とかも幸福といえると思うんですけど、たとえば誰かだけがお金持ちでいい思いをしてる場合にも幸福という言葉をつかえるかもしれないけれど、それは平和ではないのかも。誰かが割りを食っていたりするときは、平和という言葉はつかえないのかなって。
トモヨ さっき、お布団の中が平和って言ってしまったなって思って……。私が仕事に行かなかった代わりに誰かが行ってよくないことが起きて、でも私はそれを回避できて心穏やかにいられる。私は幸せだけど、誰かひとりでも幸せじゃないときはたしかにあって、それは平和じゃないと思う。平和だって感じるのと事実平和であることってぜんぜん違うんだなって。私は幸せだなって積極的に感じるように自分でしてて、この世知辛い世の中を生き抜く術(すべ)なのかわからないけど、平和だなって思い込もうとしてるのかもって思ったりしました。
トキ 自分が平和だなと感じているそばで苦しんでいる人がいたら、それは平和じゃないと思う。たとえば僕がマネキンを見て笑う。でもマネキンがかわいそうだよって思う人がいたら、それは平和じゃないのかなって。まわりのことを知ったり、世界と比較したりすればするほど平和って存在しなくなる。その平和ってここでの話でしかないよねって。じゃあ何が平和かっていうと、なんていうか絶対的な平和っていうか。トモヨさんが言った“事実平和”ってそういうことですよね。誰も苦しまないっていうことが平和なのかなって。
アリメ 幸福は自分自身を幸せにしてるってことだけど、平和は自分だけじゃなくて、みんなが幸せな状態なのかなって。そう思ったときに、自分に近い人が幸福だったら平和っていっていいのか、それとも、もっと世界規模なのか。日本は平和ボケしてるって言われますけど、それもその規模感なのかなって。平和ってどれくらいの規模が関係してくるのかなって疑問に思いました。
トキ 世界が苦しんでるから僕らが平和って言っちゃいけないって言われると、なんかそうじゃないんじゃないかと思います。小さな規模であっても、そこに誰も傷ついている人がいないのであれば、僕らは平和って言っていいはずだし、それを主張したり、掲げていっていいと思います。
▼【第2回】につづく
●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。
Photo:Saki Yagi Text & Edit:Yuriko Kobayashi Composition:林愛子
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