田邊優貴子が選ぶ3冊「海の声が聴こえる本」
およそ700万年の人類の歴史の中で、現代の、たった数十年の間に、私たちは海のシステムや海洋生物、美しい自然の数々を破壊してしまいました。海の被害は私たちが考えている以上に深刻なもの。でもまだできることがあるはず。海を変えるために、自分が変わることからはじめてみませんか?
本を読んでみることもそのひとつ。本の世界も果てしなく広がる海のように、自然や生物、文化、歴史、哲学、冒険、あらゆる事象につながっていきます。深い深い「本の海」へ、潜ってみましょう。今回は、海を愛する極地植物生態学者の田邊優貴子さんが選んだ3冊を、田邊さんの好きな海&海の思い出とともにご紹介します。
『かぜがおうちをみつけるまで』
ボブ・サム/著 下田昌克/絵 谷川俊太郎/訳
アラスカ先住民族クリンギットの語り部のボブ・サム(星野道夫の著書に友人として登場している)。彼が創作した飾り気のない優しい言葉でできた物語、谷川俊太郎の訳と透明感のある青い絵が風のようにいざなってくれる。人間と動物がお互いにまだ話ができて、この世のあらゆるものに心があったはるか昔に風が生まれる。その頃には風にも心があり、まだ風は小さな吐息だった。
やがて氷河期が来て、凍てつく風は人間にも動物にも嫌われる。また小さく弱くなってしまった風は誰にも気づいてもらえずにただ海辺をさまよい、やっと受け入れてくれるものに出合う。生きることの孤独さと地球の壮大な物語が紡がれた本。そうか、貝殻に耳を当てると中から聞こえていたのは海の音じゃなく、風の音だったんだ。(スイッチ・パブリッシング)
『POLAR OBSESSION』
ポール・ニックレン/著
青い海で泳ぐホッキョクグマが水面側に鏡のように映り込んだ、現実感のない印象的な写真がカバーの写真集。北極と南極という2つの極で、ヒョウアザラシやホッキョクグマなど、主に海の世界に生きる大型動物たちのありのままの姿がとらえられている。しかもそのようすが、水中や水面から、さらに動物たちと同じ目線で撮影されており、見たことのない迫力に満ちた写真ばかり。
動物たちのダイナミックな動きとともに、冷たい極地の海の匂いや音がこちらにも伝わってくるようだ。写真家、映像作家として世界的に活躍する著者のポール・ニックレンは海洋生物学を専攻した元・野生動物学者であり、カナダのイヌイットの小さな集落で育った人。自然を愛し、深く理解している彼にしかつくれない唯一無二の写真集。(Focal Point)
『センス・オブ・ワンダー』
レイチェル・カーソン/著 上遠恵子/訳
1960年代に出版された著者の代表作『沈黙の春』は、人間が「生態系」という自然にもたらしたさまざまな問題が社会ではっきりと認識される大きなきっかけを与えた。そんな著者の遺作であるこの本は、毎年夏に過ごしたアメリカの海岸と森が舞台。姪の息子ロジャーと2人で、美しい海岸と森を毎日のように散策、探検し、幼いロジャーの自然に対する純粋な反応とともに、さまざまな生き物と自然の気配が詩的に描かれている。
この本からはいつも海の音が聞こえてくる。ある真っ暗な夜に森を抜けて海岸に出かけた2人が、夜の海辺の神秘さや生き物の気配を感じて胸をときめかせるシーンが、私はとくに印象に残っている。誰もが子どもの頃には感じていた、世界に対する純粋なあの感覚を思い出す本。(新潮社)
田邊さんの「最愛の海」
西表島、アラスカ南部の氷が浮かぶ入り江、知床半島の丘から見下ろす海
田邊さんの「海の思い出」
アラスカ南部の海をシーカヤックで旅した。水面を進むと、静けさの中でオールが水を漕ぐ音だけが響いていた。ときおりアザラシが顔を出し、まん丸な瞳でこちらを見てくる。氷山と氷山の間をハクトウワシが滑空していく。入り江に入って上陸して、ヒグマに遭遇しないことを祈りながら甘いブルーベリーをほお張る。湿った冷たい空気の中で森と氷河と入り江を眺めていると、太古の昔にタイムスリップしたような気持ちになった。
PROFILE
田邊優貴子
たなべ・ゆきこ/極地植物生態学者。1978年青森県生まれ。植物生理生態学者。国立極地研究所助教。これまでに北極と南極に7回ずつ赴き、湖や植物の研究を行うかたわら、講演や執筆活動を通して地球や生命の不思議、素晴らしさを伝える。著書に『すてきな地球の果て』(ポプラ社)。
●情報は、FRaU SDGs MOOK OCEAN発売時点のものです(2019年10月)。
Text & Edit:Yuriko Kobayashi
Composition:林愛子