牛の顔が見える「クラフトミルク」で、酪農家も消費者も幸せになる(後編)
日本各地の放牧牛乳を中心とした「クラフトミルク」を提供する、東京・吉祥寺の「武蔵野デーリー CRAFT MILK STAND」。100年続いてきた牛乳屋さんをルーツとするお店だからこそ、「牛乳廃棄問題」をはじめとする酪農の課題にも思うところがあるといいます。前編に続き、同店を運営する木村充慶さんにお話を伺いました。
絶対に牛乳の大量廃棄をさせないため
大量の牛乳が廃棄されるかもしれないというニュースが話題になったのは、2020年の春と2021年末のこと。2014年頃に問題となったバター不足解消のために生乳を増産する取り組みが行われ、ようやく効果が出はじめたところに、コロナ禍による飲食店での需要低迷や、学校給食のストップなど、複数の要因が重なったといわれている。乳牛は生き物であり、頭数も乳量も簡単に調整できるものではない。つまり、この問題は今後も続くのだ。
前述した2回の牛乳大量廃棄危機は、官民をあげての消費拡大キャンペーンもあってなんとか乗り越えた。だが、武蔵野デーリー CRAFT MILK STANDの木村充慶さんは、根本的な解決のためには「牛乳や乳製品が、もっと生活に溶け込んでいく必要がある」と考えている。
「それぞれの牧場がそれぞれの哲学を持ち、それぞれのやり方で生産する『クラフトミルク』は、他に同じ味のものがありません。いろいろな牛乳があること、つくり手の思いなどを消費者に知ってもらい、乳文化がもっと深く広がれば、消費量の底上げにつながっていくのではないでしょうか」(木村さん、以下同)
実は、日本の乳文化は海外ほどバラエティ豊かではなく、歴史も短いのだとか。平安時代から江戸時代あたりまで、乳製品を食していたのは貴族階級などの一部に限られ、一般の食卓まで広がったのはここ50年ほどだという。普及の理由としては、食事の西洋化や、牛乳が健康飲料として飲まれるようになったことなどが考えられる。
一方、乳文化の歴史が長いユーラシア大陸では、流通体制が整う前に、傷みやすい生乳をチーズなどの乳製品に加工する技術が広がり、多様な乳製品の食習慣が根づいているそうだ。
牛乳の廃棄問題を「牛乳だけを飲むことで解決できる問題ではない」と捉えている木村さんは、同店の今後の展開として、飲料以外の乳製品も提供していこうと思案中だ。
「海外の乳製品には、日本に知られていないものがたくさんあります。たとえば、インドといえばラッシーが有名ですが、ほかにもまだまだびっくりするような乳製品があるんですよ。杏仁豆腐のようなものに白いアイスクリームが載っていて、煮詰めた甘い牛乳がかかっている、真っ白な謎のスイーツとか。そういうものを、日本ふうにアレンジして紹介していきたいですね」
同店の地下倉庫を製造スペースとして改装し、クラフトミルクを使ったオリジナルのおいしいヨーグルトをつくる計画も、具体的に動きはじめているそうだ。
価値に見合った価格へのチャレンジ
もうひとつ、木村さんが挑戦している酪農の課題がある。
「スーパーで1リットルの牛乳パックが190円で売られていることの呪縛といいますか……。消費者としては、それ以上の価格ではなかなか手に取りにくいですよね。この価格は、組合が牧場から生乳を買い取る仕組みによって成り立っています。牛乳の安定供給や酪農家の安定的収入を保証する、すぐれた仕組みである反面、一般的な牧場で直販されている牛乳では組合の買い取り価格の3~4倍の値段がついているケースが多い。つまり、本来はその価格がコストに見合った値段と考えられます」
木村さんが店で提供するクラフトミルクの価格設定にも相当悩んだそうだが、あえてカップ1杯400円からに設定した。オープンから完売が続き、酪農家からは「東京でそんな価格で売れるのか」と驚きの反応が寄せられているそう。
「コーヒー1杯500円という価格は喫茶店では当たり前ですよね。コーヒーは、その場で手間をかけて提供されるようすが目に見えるので、お客様も500円という価格に納得されます。しかし牛乳をつくる過程ではものすごい労力と時間がかかっているわけで、『喫茶店では注ぐだけだから200円』というのはおかしいと思って。もちろんクラフトミルクは、スイスのとある高級チーズ工房と同じ注ぎ方でお出しするなど、価格に見合う価値を加えています」
「会いに行ける牛」で牧場を身近に
同店で今後扱う予定のクラフトミルクのひとつが、東京・八王子にある磯沼ミルクファームの牛乳だ。放牧ではないが、牛たちが自由に歩き、食べ、寝られる牛舎を導入している。最大の特色は住宅地のド真ん中にあるということ。臭いに対する苦情が寄せられても不思議ではないが、意外にもそれはなく、近所の住民が多数、牛に声をかけたり、ボランティアとして飼育に参加したりなどしている。まさに地域に根ざした牧場だ。
「ここの牛には1頭1頭名前がついています。通勤通学の人が行き交う道路から牛が丸見えなので、牛たちは日々、近隣の方から名前を呼ばれ、親しまれています。牧場では各牛の名前入りのヨーグルトも販売していまして、ふだんから自分が触れ合っている牛の乳製品を買うことができるんです」。ちなみに、磯沼ミルクファームでは、子どもたちが酪農の楽しみや大切さを実感できる「カウボーイカウガールスクール」という学びの場を提供していて、入会時には牛の名づけ親になれるという。また、命名権を購入することでも、牛に名前をつけることができるそうだ。
牛や牧場を身近に感じられる乳製品には、ファンを増やして消費量を拡大するサステナブルな力があり、コストに見合う価格で販売できる力も秘めているのではないか。同店は磯沼ミルクファームと協力して、いままでにない牛乳の提供方法を模索中だ。
アニマルウェルフェアの観点から人も家畜も幸せな各地の牧場と手を携えつつ、酪農家もお客さんも幸せにしようとする「武蔵野デーリー CRAFT MILK STAND」の取り組みは、今後さらに加速していくに違いない。