折り鶴にこめられた平和への想いを「再生」する広島市の取り組み
世界で最初に「戦争による被爆地」となった広島には、世界中からたくさんの折り鶴が捧げられています。犠牲者の冥福を祈り、平和を願う……。折り鶴に込められた人々の思いを大切にしようと、広島市が行っているのが『折り鶴に託された思いを昇華させるための取り組み』です。いったい、どんな施策なのでしょうか。前編と後編でご紹介します。
年間10トン!世界中から集まる折り鶴の行く末は
広島市の平和記念公園にあるモニュメント「原爆の子の像」には、世界中から寄せられた、たくさんの折り鶴が捧げられている。
像のモデルになったのは、被爆により白血病を発症し、12歳で亡くなった少女・佐々木禎子さん。闘病中に千羽鶴の意味を知り、「早く元気になれますように」と願いながら、亡くなる直前まで病床で鶴を折り続けていたという。
像は、禎子さんの小学校時代の同級生による募金運動が発端となって、彼女が亡くなった3年後の1958(昭和33)年に建立された。その後、禎子さんの物語は世界中で知られるようになり、折り鶴は、いつしか平和への思いを込めるシンボルとなった。そして、像にも折り鶴が捧げられるようになったのだ。
年間でおよそ10トン、約1000万羽。現在はコロナ禍の影響で減少しているものの、毎年、これだけの量の折り鶴が絶え間なく集まってくる。実は20年ほど前まで、捧げられた折り鶴は広島市によって回収され、一年に4度、焼却処分されていた。
けれども2001(平成13)年になると、「永久保存」の方針が打ち出される。そして、翌年から折り鶴の一部は市の施設に展示され、残りは、市の使用されていない施設に保管されていたのだが……。
「そうした折り鶴の扱いが大きく方向転換したのは、2011(平成23)年。折り鶴をそのまま残すのではなく、寄贈者が鶴に込めた思いを昇華させて平和の願いを広げる。このような意図で、広島市は折り鶴の『活用』を打ち出したのです」(広島市市民局国際平和推進部・被爆体験担当課長の稲田亜由美さん、以下同)
焼却処分されずに保管されていた折り鶴は、9年間で100トン近くになっていた。ものとして残すのではなく、平和への思いを残そう——。広島市は、折り鶴の活用案を市民から募集する。
「再生紙にする。お焚き上げにする。展示する。イベントに用いる……。寄せられたさまざまなアイデアのなかから、『8月6日の原爆記念日に行われる灯籠流しの灯籠に折り鶴の再生紙を使う』など、折り鶴に託された思いを昇華させる取り組みとしてふさわしいと思われ、かつすぐ実施できる5つの案が選ばれて試行されました。それらの案について被爆者を含む市民や鶴の寄贈者などにアンケートを行った結果、おおむね好感触が得られたため、折り鶴を昇華させる取り組みをはじめることになりました」
こうして、広島市の折り鶴を昇華させる(=折り鶴に込められた思いを別の形にして他の人に伝える)方策、「折り鶴再生事業」は、2012年(平成24年)度から本格的にスタートした。
「具体的には、『折り鶴を昇華する取り組みを主体的に行いたい』と名乗りをあげた個人や団体に、折り鶴を無償で配布しました。市が主導して何かを行ったというより、民間の方々が、いろいろ試行錯誤しながらがんばってくださったのです」
広島市も、職員の名刺や、市長が国内外にメッセージを送る際に使う便箋と封筒などに折り鶴の再生紙を採用。折り鶴の活用をPRしつつ、平和へのメッセージを世界に発信した。また、折り鶴を再生利用した作品や製品にあしらうロゴマークをつくり、団体や個人に無償提供して折り鶴の活用をあと押ししてきた。
「はじめてから10年、この取り組みの認知度は高まり、商品化も加速していったように思います。折り鶴の活用は再生紙だけではありませんが、やはり再生紙として活用するパターンがもっとも多く、いまでは、名刺や折り紙、ノート、メモ帳、付箋など、折り鶴再生紙を使ったさまざまな商品が販売されています」
広島市ならではのサステナブルな取り組み。私たちも、知らず知らずのうちに、その成果=形を変えた折り鶴を目にしたり、手にしていたりするのかもしれない。
ーーー後編に続くーーー
text:佐藤美由紀