地方創生をリード!徳島県神山町に見る「未来へのヒント」【中編】
SDGs先進県として、さまざまな取り組みを進めている徳島県に、消滅可能性都市のひとつに数えられながらも“創造的過疎”と呼ばれる小さな町があります。それが、徳島県神山町。そこで暮らし、働く人びとの姿に、未来へのヒントが見えました。
“地産地食”で大繁盛の食堂とパン屋さん
9月のとある日の早朝、「かまパン&ストア」からは、焼きたてパンの幸せな香りが漂っていた。
軽トラックが到着、地元の農業グループ「里山の会」の上地公一さんがコンテナを持って降りてきた。
本日の納品は、大きなナスにカラーピーマン、新生姜、セレベス、ずいき(ハス芋の茎)。「農薬はキライやけんね」と笑う上地さんの腕のなかで、ほんの数分前に採れた野菜たちが光っている。
ここフードハブ・プロジェクト(以下フードハブ)は“地産地食”をモットーに、できるだけ町内産の、それも有機や無農薬で育てられた野菜をつかった料理を提供する。
自社でも農業チームをもち、野菜は耕作放棄地等を借りて栽培している。
毎月発行の「かま屋通信」をはじめ、テーブルに置かれた産食率のレポート、地域の不要品を譲り受けた食器類、町内産のスギ材を使った内装……。店のそこかしこに、神山の“地面”を身近に感じる仕掛けがしてある。
そんな印象を伝えると、支配人の真鍋太一さんは「会社自体も有機的にしたいんです」と語り始めた。
「みんなでとにかく話し合う、という心がけで5年間進んできました。その意味では、畑の土と同じで、有機的な方法で耕され、すごくいい状態になってきている。鶯宿梅が実りすぎて余っている、といった気づきから加工品がつくられることもあるし、料理長のリクエストをもとに農業チームが実験的に育て始めたものが、気づけば商品化できる規模になっていた、なんていうこともあります」
地元農家出身でフードハブの農業長でもある白桃薫さんは、「フードハブが、ここに宝があることに気づかせてくれたって、父がよく言うんです」と、こんなエピソードを話してくれた。
「白桃家が自家用に代々育ててきた在来の小麦があるのですが、近頃ではつかい途もなくなり、それでも種を継ぐためだけに栽培していました。それを知ったフードハブのメンバーが、ちゃんと栽培して製品化しようと提案してくれたんです。現在その『神山小麦』は、かまパンのすべてのパンの酵母につかわれているんですよ」
今後はフードハブの食育部門がNPOとして独立する予定だ。代表となる樋口明日香さんは、食育・食農教育の大切さを、ちょうど見つめ直しているところ。
「小学5年生のときに田植えと稲刈りを経験した子どもが、その4年後に『あれから町の風景の見え方が変わった』と話してくれて、胸が熱くなりました。自分が関わったものは解像度が上がって見えるようになる。その目があれば、自分で考えたり、想像したりしやすくなる。どんな世界でも生きる力になるはずです」
フードハブが食と農なら、「神山しずくプロジェクト」(以下SHIZQ)は木と水だ。町内産のスギ材をデザインの力で価値あるものに変え、余すところなくつかう。それによりスギの伐採が進み、豊かな山と水源が再生される循環をつくり出す。キネトスコープ社の代表でデザイナーの廣瀬圭治さんは、神山の豊かな自然に惹かれて9年前に移住。けれどその自然が、実は“緑の砂漠”だったことに気づき衝撃を受けたと、当時を振り返る。
「神山の山々は、ほとんどが戦後に建材用に植えられたスギの人工林です。安い外材が入ってきてからはつかい途がなくなり、間伐・伐採されず過密状態に。針葉樹のスギは1年じゅう葉を落とさないので山肌に光が届かず、硬くなった土は保水力を失い、山から川に流れ込む水量が年々減っています」
実際、鮎喰川(あくいがわ)の水量は30年前の3割にまで減ったというから驚くが、それは神山に限ったことではない。近年、各地で多発している土砂災害も、根っこの浅いスギが引き金になっている。日本の中山間地域の問題解決の一手となるように、SHIZQを100年つづくモデルにするのが廣瀬さんの目指すところだ。
「神山では、90歳にもなるおじいさんが桜の苗を植えるんです。それって少し不思議に思いません? でも『ここに桜あってみ? キレイやろ』って、笑顔を浮かべて。自分のためじゃない、いつかの誰かのため。ここ神山には、そういう感覚が当たり前にあります」
▼後編につづく
●情報は、FRaU S-TRIP 2021年12月号発売時点のものです。
Photo:Satoko Imazu Text:Yu Ikeo Illustration:Aki Ishibashi(P.39)
Composition:林愛子
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