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消えゆく農地をクラフトビールで守りたい! りんご農家5代目@長野市の挑戦【前編】
消えゆく農地をクラフトビールで守りたい! りんご農家5代目@長野市の挑戦【前編】
FEATURE

消えゆく農地をクラフトビールで守りたい! りんご農家5代目@長野市の挑戦【前編】

国宝「善光寺」を眼下に望む長野市往生地(おうじょうじ)地区は、標高約500mの中山間地。日当たりがよく、水はけがいい傾斜地にあることから、“往生地のりんご”は、古くから地元屈指のブランドりんごとして名を馳せてきました。そんなりんごの名産地に2025年春、誕生したのがクラフトビール醸造所「NAGANO BREWERY(ナガノ・ブルワリー)」です。創業者の荒井克人さんは、この地で5代にわたって続くりんご農家の後取り。ブルワリーの開業について聞くと、持続可能な農業の模索や地域の活性を願う熱い想いが返ってきました。【前編】

「この風景を守りたい」

善光寺の北西に位置する往生地。童謡「夕焼け小焼け」の“山のお寺”のモデルにもなった寺があり、のどかな風景が広がる

往生地でりんごの栽培が始まったのは明治後期。それまでの養蚕業からりんご栽培へと産業の主流が移り変わり、一帯は果樹園へと姿を変えた。日当たりのよい南東向きの斜面、水はけのよい豊かな土壌、昼夜の寒暖差。同じ長野市内でも、平地より平均気温が2℃ほど低いため、往生地では甘みが強い上質なりんごが育つといわれている。

南東向きの斜面で、太陽の光をいっぱいに浴びて育った自慢のりんご

ところが、そのりんごの里に危機が訪れているというのだ。

「後継者不足により耕作放棄地が増え、地域の農地が荒廃するという問題に直面しています。傾斜地に小さい畑が点在するという土地柄、生産量を確保しづらいんですよね。一つひとつの畑を移動するだけでも大変なのに、作業自体も手間がかかる。そのうえ消毒をするにしても、草刈りをするにしても、ほかの畑へ移動するたびにトラックから機械を積み下ろさなければならないのですから、苦労は尽きません。若くてまだ元気なうちは勢いでなんとか乗り切れるけれど、年をとって日々の農作業が億劫(おっくう)になる気持ちもわかりますよね……。標高の高いところにある畑は獣害が多く、耕作放棄に拍車がかかっています」(荒井さん、以下同)

毎年5月上旬になると、ピンク味を帯びた白いりんごの花がいっせいに咲きそろう

春には白い花が一面に咲き誇り、秋には実りの赤が斜面を彩る――。100年以上前から続く往生地の美しい風景はりんご園あってこそのものだが、高齢化や後継者不足により、農業そのものが立ちいかなくなってきている。

「高齢を理由に今年いっぱいで農業を引退されるご近所の方から、農地を託されました。先祖代々受け継がれてきたこの土地とりんご栽培の歴史を守りながら、次世代に地域の誇りをつないでいきたいと思っています」

畑で汗をかきながら、持続可能な農業に思いをめぐらせる日々。荒井さんのたどり着いた答えが“クラフトビール”だった。

農家だから叶う“自家栽培”のクラフトビール

理由は、「多様な農産物を原料につかうことで、地域性にあふれるビールが生まれるのでは?」と考えたから。

荒井さんの圃場(ほじょう=農業用地)では、数種類のりんごのほかにも生食用のぶどうやワイン用ぶどう、梅、柿、さくらんぼ、梨とさまざまな農産物をつくっているため、クラフトビールの味わいの醍醐味のひとつでもある副原料に、こと欠かない。

せっかくならば可能な限り自家栽培を貫こうと、ビール醸造に欠かせないホップも自分たちの手で育てている。

ホップまで自家栽培しているブルワリーは全国的にも珍しい。日射量が多く、冷涼な気候が栽培に向く

「農園とブルワリーを一体化することで、地域の資源を新しいカタチで活かせ、それが、農業の持続可能性につながると考えました」と荒井さんは話す。その基盤となるのが、ワインの世界で浸透している“テロワール”、農作物が育つ土地の個性という概念だ。

「テロワールと聞いて、シャトーと畑が隣接している情景を思い浮かべる人も多いのでは。せっかく畑があるのだから、クラフトビールでそれを体現できたらおもしろいんじゃないかなと思いました。たとえば、うちでは栽培していないりんごの品種“紅玉”や桃、あんずといったフルーツを近隣の農家さんから仕入れれば、地域の活性化にもつながりますし、ビールのバリエーションも広がっていくと思うんです。でも、1㎏数十円で買い叩いていたのでは、農家さんたちは潤わない。できれば1㎏350円くらいの適正な価格で買い取って、地域の活性化に貢献していきたいと考えています」

往生地のテロワールが薫るビールたち

2025年、自社農園の一角にブルワリーを構え、荒井さんはクラフトビールをつくり始めた

ビールの名前にも、往生地の風景や物語が込められている。たとえば「黄昏(たそがれ)」は、童謡「夕焼け小焼け」にちなみ、夕暮れに染まる山の稜線をイメージした黄金色のビール。飲む人の記憶や感情に寄り添うような味わいが、訪れる人々の心をつかんでいる。

タップルームで注ぎたてのビールも楽しめるほか、お土産用の瓶ビールも販売している

「畑に人を集めたいんですよ。ここは善光寺からも徒歩圏内ですし、参詣の後に界隈(かいわい)を周遊してもらえたらうれしいですね。毎年8月には、畑で収穫祭もやってみたい。10年続ければ、往生地の新たな文化になると思うから」

地域の魅力とストーリーを未来につなぐ

長野ブルワリーの挑戦は、単なる6次産業化にとどまらない。荒井さんが目指すのは、物語性と循環性に根ざした農業の再定義だ。

「中山間地は、大規模化や効率化では勝てません。でも、ここには多様な作物と風景、そこに暮らす人々の営みがある。それを丁寧に伝えることで、地域に新たな価値を生み出せると信じています」

自社農園のホップや果樹で作る定番商品のほか、季節限定の味も順次お目見えする

「ビールを通じて、この土地の風景や営みを感じてもらえたらうれしいですね。農業が続いていくことで、地域の風景も守られていく。そんないい循環をつくっていけたらいいなと思っています」

畑を望むテラス席では、地元の人々や観光客がビールを片手に語らい、テロワールを楽しむ姿が見られた。小さなブルワリーの挑戦は、消えゆく農地に新たな息吹をもたらしている。

Photo:NAGANO BREWERY、松井さおり Text:松井さおり

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