【戦後80年】戦争で散った人たち、差別される人びとの“苦しみ”“絶望と希望”を体感できる7つの資料館
戦争や差別などの悲惨さ、残酷さを真摯に伝える資料館が全国にあります。歴史を次世代に伝えることは、未来を生きる人々が“考える”ことにつながります。ここでは、戦争で夢をあきらめた学生の作品を鑑賞できる「無言館」など、全国7つの資料館を紹介します。
無言館
まっすぐな直向きさが伝わる
戦没画学生たちの作品

戦時中、不足する兵力を補うために学生も徴兵された「学徒出陣」。それは、芸術を志した画学生たちも例外ではなかった。無言館には、徴兵によって創作の道を断たれた戦没画学生たちの作品が展示されている。

無言館の本館は十字架の形になっている。画学生たちの作品のほか、写真や手紙なども展示
村山槐多(かいた)など夭折(ようせつ)した画家の絵を集めた美術館、信濃デッサン館を経営していた窪島誠一郎さんが1997年に開館した。

無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」
窪島さんは、出征した経験のある画家の野見山暁治さんから、「自分より才能のある仲間が、戦地から帰ってこられなかった。彼らの残した絵も消えてしまうのは心が痛い」との話を聞き、自ら絵を集めることを決意。全国の遺族を訪ねて、30人ほどの作品を収集した。その後、全国から作品が集まり、いまでは約130人の作品が展示されている。

天井には大量のデッサンや下絵が貼ってある
窪島さんは「反戦や平和を願うなどの崇高な気持ちでこの美術館をつくったわけではない。作者たちは有名になりたいとか、賞を受賞したいとかそんな思いはいっさいなく、ただ限られた時間で、命をかけて絵を描いた。その情熱が私に無言館をつくらせた」と語る。すべての作品に、窪島さんが出合ったことのないひたむきさがあふれていた。作品は何も語らないが、“絵を描きたい”“もっと描きたかった”という思いは痛いほど伝わってくる。その気迫に、鑑賞者は言葉を失うのだ。
長野県上田市古安曽字山王山3462 mugonkan.jp
知覧特攻平和会館

第二次世界大戦の末期、戦況が不利になってきた旧日本陸海軍は、爆装した飛行機に兵士が乗ったまま連合軍の船に体当たり攻撃をする特攻作戦を採用。知覧特攻平和会館がある鹿児島県の南九州市知覧町は、特攻隊の出撃基地だった。ここでは特攻隊として飛び立っていった隊員の当時の姿を伝えるため、遺品や家族に宛てた遺書などを展示。若くして自ら敵軍へと向かっていった兵士たちの思いを現代にもつなぎ、恒久の平和を願い続けている。
鹿児島県南九州市知覧町郡17881 chiran-tokkou.jp
しょうけい館 戦傷病者史料館

戦地に向かい戦った兵士たち。激しい戦いのなかで傷や病気は絶えず、戦後もその苦しみは続いた。しょうけい館は、兵士本人たちやその家族をも苦しめた戦争の労苦を語り継ぐ国立の施設。名前は、受け継ぎ語り継ぐという意味の「承継」に由来する。世代を超えて多くの人に親しんでもらえるようひらがなにした。当時の野戦病院を再現したジオラマなどが展示され、戦場で負傷したある兵士の足跡をたどるようにストーリーが展開されている。
東京都千代田区九段南1-5-13ツカキスクエア九段下 shokeikan.go.jp
桶川飛行学校平和祈念館

この施設はもともと、1937年に熊谷陸軍飛行学校の分校として建てられた桶川分教場だった。全国各地から集まった生徒が陸軍航空兵になるために操縦訓練を受ける学校で、戦争末期には特攻隊の訓練施設としても使用された。戦後には、引き揚げ者のための市営住宅となり、多いときには約300人もの人が暮らしていた。飛行学校で使われた教科書や、兵士の遺書などを展示し、兵舎棟内には寝室も復元され、当時の訓練兵の生活をリアルに伝えている。
埼玉県桶川市大字川田谷2335-16 city.okegawa.lg.jp/soshiki/soumubu/jichishinko/shisetsu_ichiran/shogai_bunka/otherfacilities/1937.html
ホロコースト記念館

©K.Nomura
ナチス・ドイツによって、第二次世界大戦中に600万人ものユダヤ人をはじめ、多くの人々が大量虐殺されたホロコースト。『アンネの日記』の著者として知られるアンネ・フランクの父であり、生還者のオットー・フランクに出会った初代館長の大塚信さんは、平和への思いを日本でも伝えるために日本初のホロコースト教育センターとしてこの施設を開館。世界40ヵ国から寄贈された遺品や写真などを展示し、見学者にそれぞれの生き方を問いかけている。
広島県福山市御幸町中津原815 hecjpn.org
堺市立平和と人権資料館

平和や命の尊さと、お互いの人権、地球環境を守る大切さを訴える資料館。同和問題などあらゆる人の人権を考える人権ゾーン、ものづくりの過程から自然や社会とのつながりを知り、気候変動などの問題を考える環境ゾーン、戦災にあった市街地のパノラマ写真の展示、戦時下の暮らしや防空壕の入壕体験ができる平和ゾーンの3つで構成されている。戦時中空襲を受けた堺市の悲劇を再現するため、模型と映像を合成したジオラマ・ファンタビューも展示。
大阪府堺市中区深井清水町1426 堺市教育文化センター内 city.sakai.lg.jp/shisei/jinken/jinken/heiwajinkenshiryokan
花岡平和記念館

第二次世界大戦中、日本は労働力不足を補うため中国人捕虜を各地に連行し重労働を強制した。秋田県の花岡町はそのひとつで、計986人もの中国人が連行され劣悪な条件下で過酷な労働を強いられた。非人道的な扱いに耐えかねた彼らは、1945年6月に一斉蜂起。しかし、まもなく鎮圧され、拷問を受けた。「花岡事件」と呼ばれるこのできごとや、戦後の平和運動、生存者・遺族との交流、加害企業に対する訴訟と和解など、戦中戦後の資料が展示されている。
秋田県大館市花岡町前田88-1
●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。
Photo:Takashi Shimizu(mugonkan) Text & Edit:Saki Miyahara Composition:林愛子
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