スマートシティの先駆け!? ドイツ最古の都市「トリーア」は2000千年前からインフラが大充実!のスマートシティ
モーゼル川沿いに佇む、ドイツ最古の都市トリーア。ローマ帝国が北ヨーロッパへと勢力を広げる拠点として築かれ、「第2のローマ」とも称されました。市内には当時の遺構が数多く残り、その保存状態のよさと壮大なスケールで、ローマ文明の卓越した技術と美学をいまに伝えています。2000年の歴史と現代の暮らしが重なり合うトーリアで、時間をさかのぼるような不思議な街歩きを体験してきました。
1986年に世界文化遺産に登録された、古代遺跡が点在する街

旧市街の中心にあるマルクト広場の周囲には、トリーアの守護聖人である聖ペテロの像を中心に、バロック、ネオルネッサンス様式などのドイツらしい建築物が建ち並ぶ。トリーアには、これらよりもはるか昔、ローマ帝国時代の遺構も点在している。
この街はローマ帝国時代に、帝国軍の駐屯地(植民地)としてつくられた。3〜4世紀にかけてアルプス以北最大の都市に成長、ローマやコンスタンティノープルやアレキサンドリアと並び、栄華を誇っていた。ローマ帝国を4人の皇帝が分割して治める制度、テトラルキアが施行された3世紀末には、トリーアも4つの首都のひとつに選ばれ、ローマさながらの豪奢(ごうしゃ)な街並みが築かれていった。旧市街やその周辺には歴史的な古代遺跡が数多く残されており、1986年に世界文化遺産に登録されている。

トリーアの北の玄関口にそびえ立つ「ポルタ・ニグラ(黒い門)」は、2世紀末に建てられたローマ帝国時代の城門で、いまもなお、街の象徴であり続けている。約7200個の砂岩ブロックを鉄の鎹(かすがい)で固定するという、当時としては最新の技術で組み上げられた高さ約30m、幅約36m、奥行き22mの堅牢かつ精緻な構造物だ。
ポルタ・ニグラはかつてトリーアを取り囲んでいた市壁の一部だったが、現在ではこの門だけが当時の姿をとどめている。塔の上にあるテラスに登れば、モーゼル川の穏やかな流れと、旧市街の赤茶けた屋根たちを一望できる。

上の写真は、風呂好きで知られるローマ皇帝カラカラが、212〜216年に建設を進めた壮大な公共浴場。幅145m、奥行き260mの広い敷地には、熱水浴、温水浴、冷水浴の各浴室に加え、運動場まであったという。ローマのカラカラ浴場に次ぐ大きさの公衆浴場で、帝国の力と富を象徴する建築だった。
ところが、皇帝コンスタンティヌスが首都をビザンティウム(現在のイスタンブール)へ替えたことで、この浴場は一度もつかわれることなく、その役目を終えてしまった。それを踏まえて眺めると、石づくりの回廊やアーチも、なんとも儚(はかな)く見えてくる。

トリーアの歴史地区の西側、モーゼル川に架かるのはローマ橋だ。ドイツ国内、そしてアルプス山脈以北に現存する橋のなかでもっとも古いローマ時代の橋とされる。2世紀に建設された橋脚部分は、いまもなお現役。驚くべき耐久性だ。
ローマ人は、巨大な石をつなぎ合わせる高度な建築技術を持ち、構造の強さと美しさを兼ね備えたインフラをつくる能力があった。それゆえこの橋も、2000年もの間、人とモノの流れを支え続けてこられたのだ。

4世紀に創建されたトリーア大聖堂は、ケルン大聖堂、マインツ大聖堂と並んでドイツ3大聖堂に数えられている。古代ローマ時代の宮殿の土台を再利用して建てられたそうだ。
ローマ時代には水道や道路、水路などの都市インフラがすでに整備され、通信や交通の効率性にも配慮されていた。住みやすさと機能性を兼ね備えた都市づくりは、スマートシティの先駆けともいえる。トリーアを歩いていると、2000年前のローマ人たちが「未来の都市」を想い、創造していたことが本当によくわかる。

トリーアの中心部には、19世紀を代表する経済学者・哲学者、カール・マルクスの生家があり、博物館として一般公開されている。彼の『資本論』は、誰もが一度は読んだり、耳にしたことがあるはずだ。

中庭を囲むように建てられた3階建ての重厚な住まいには、マルクスの生涯や思想が、時代背景とともにわかりやすく展示されている。難解とされるその思想を、視覚的にポップなイラストや映像で解説しているのがユニーク。若い世代の来館者も多く、いつの世もマルクスへの関心が高いのだと思わされた。ちなみに、マルクスがこの家に暮らしたのはわずか15ヵ月間。それでも、ここを“思想家の原点”として、街の人びとは大切に思い、代々維持しているのだ。
取材・文/鈴木博美 協力:ドイツ観光局