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防災ストーリーが「日本遺産」になった唯一のまち、和歌山「広川町」で自然との共存を学ぶ
防災ストーリーが「日本遺産」になった唯一のまち、和歌山「広川町」で自然との共存を学ぶ
FEATURE

防災ストーリーが「日本遺産」になった唯一のまち、和歌山「広川町」で自然との共存を学ぶ

海や川、山に恵まれ、温暖な気候が魅力の和歌山県。なかでも甘くみずみずしい有田みかんで有名な有田・日高エリアは、豊かな自然とおいしいものがいっぱいの穴場観光スポットです。このエリアに位置する広川町(ひろがわちょう)は、日本ではじめて防災に関するストーリーが日本遺産に登録された「防災の町」。海や山と共存してきた歴史と叡智を訪ねて、広川町を訪ねました。

江戸時代、津波に襲われたまちは、どうやって復興したのか?

美しい海と、みかんが実る山々に恵まれた広川町。和歌山県の中北部に位置し、まちの真ん中を紀伊水道に注ぐ広川が流れ、町名の由来となっている。広いビーチやホタルが乱舞することでも有名で、夏には多くの人が訪れる人気スポットだ。歴史的建造物がそこここに残り、散策にもってこい。そんな風光明媚でゆったりとした時間が流れる広川町には、津波による被害と復興の歴史が、いまも語り継がれている。

海岸線のすぐ近くに山があり、日当たりのよい斜面にみかん畑が広がっている。毎年9月中旬から1月中旬まで名産の「有田みかん」が収穫され、日本各地に運ばれていく

1854年(安政元年)11月5日の夜、当時の広村は、安政南海地震とそれによる大津波に見舞われた。第一波が襲ったあと、海水が沖に引いていくのを村の高台から見た地元の豪農・濱口悟陵(はまぐちごりょう)は、暗闇のなか津波から逃げ遅れた人びとの道しるべとなるように、刈り取ったばかりの田んぼの稲束「稲むら」に次々に火をつけたという。村民たちはその灯りを目指し高台に避難。ほどなく村を呑み込んだ眼下の大津波第二波を、人びとは呆然と眺めたそうだ。

近世から近代に建てられた古い木造建築が、町じゅうに点在。いまも現役の住宅となっているほか、リノベーションされ、オーベルジュやコワーキングスペースとして活用されている建物もある

悟陵は豪農であるばかりか、国防のために自警団をつくったり、火災で焼失した江戸の種痘所(しゅとうしょ=後の東大医学部)に再建費用を寄付したりと、広く社会のために力を尽くした人物。大津波で何もかも失い意気消沈する村人たちに、地域を守るための堤防を築こうと提案する。そして私財をなげうって、村民たちに建設賃金を支払ったという。「稲むらの火」によって九死に一生を得た人びとは懸命に働き、津波から3年10ヵ月後に、立派な「広村堤防」が完成したのだ。

悟陵の尽力によって完成した広村堤防。昭和21年(1946年)の昭和南海地震の津波では、多くの町民の命を救った

安政の津波から約50年がたった明治36年(1903年)、犠牲者の慰霊と防災意識の継承を目的にした「津浪祭」が開催された。それから120年以上たち、いまでも地域の小中学生が参加して11月5日に祭りが行われている。

稲むらの火や広村堤防、津浪祭など防災にまつわる広川町のストーリーは、2018月5月に「『百世の安堵(あんど)』〜津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産〜」として「日本遺産」に認定された。百世の安堵とは、「築堤の工を起こして住民百世の安堵を守る」という悟陵の言葉からつけられたもの。津波から稲むらの火、築堤までの一連のエピソードは、明治の文豪・小泉八雲の『生ける神(A Living God)』によって、広く世界に知られることになった。

ひと目で津波の恐ろしさを体感!「津波シミュレーション」

広川町の中心地に位置する「稲むらの火の館」は、町の観光・教育の拠点施設だ。悟陵の生家、西濱口家を見学できる「濱口悟陵記念館」と「津浪教育防災センター」からなり、毎年3万人の観光客が訪れる。記念館には悟陵の生い立ちから晩年までのエピソードが展示されており、地域の人々に長く愛され、敬われていたことがよくわかる。

悟陵の邸宅を活用した記念館。茶室や日本庭園も残されており、地域の人々の交流の場にもなっている

津波教育防災センターは、稲むらの火の人命尊重の精神をふまえ、「津波に襲われたときにどのように命や暮らしを守るか」が学べる教育施設だ。1階には3D津波映像シアターや防災体験室などがあり、津波のリスクとその対策がわかる。なかでも注目なのは、海沿いのある町のジオラマを、ミニ津波が襲うようすが見られる津波シミュレーション。かわいらしい家や木々が波に飲み込まれていき、その恐ろしさと備えの重要性が再確認できる。

長さ16mの津波実験水槽で、津波がどのように伝わるかを学習

地上3階建ての防災センターは、津波の際の避難場所として活用される。最上階にあるカンファレンスルームには、万が一に備えて、紙おむつや食料などの生活必需品がストックされていた

防災センターのあるまちの中心街には、古民家や古いレンガ塀などが多く残されており、ノスタルジックな情緒たっぷり。赤レンガは床にもつかわれ、防火の役割を果たしていたそうだ。町並みを抜けて海に向かうと、悟陵と町人たちが築いた堤防が見えてくる。堤防の海側に松の木、陸側に、はぜの木が並び、気持ちのよい木陰をつくっていた。その向こうには、穏やかな黒潮が流れる海。波がキラキラ輝いている。

海や山の幸グルメも満載で、海や川、山遊びも存分に満喫できる広川町。海や山を正しく恐れ、共存してきた人びとに出会える旅を、ぜひ体験してほしい。

Photo:横江淳 Text:萩原はるな

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