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東京から移住した20代の2人は、なぜ広島の小さな島にとけ込めたのか【後編】
東京から移住した20代の2人は、なぜ広島の小さな島にとけ込めたのか【後編】
COLUMN

東京から移住した20代の2人は、なぜ広島の小さな島にとけ込めたのか【後編】

瀬戸内海の真ん中あたりに浮かぶ広島県・大崎下島。レモン栽培が盛んなこの島の一角にある小さな集落・久比(くび)には、島外から移り住んだ若者がいます。彼らはこの地で何を目指し、どんな活動をおこなっているのでしょう。東京から移住してきた〝20代チーム〟に話をうかがいました(後編)。

――前編はこちらーー

「地域にとけ込む」ことが第一

大崎下島の久比地区でさまざまな活動を展開する一般社団法人「まめな」。同法人が運営する複合施設「あいだす」を取り仕切るのは、27歳の福崎陸央さんと28歳の大橋まりさんだ。生まれも育ちも東京の2人は、建築のプロの協力を得ながらも、自分たちで古い民家をリノベーションして施設をつくってきた。

2人の取り組みは、いまではすっかり地元の人に受け容れられている。だが移住当初は、「島外から来たヨソ者が、いったい何をやろうとしているのか」といった冷ややかな目を向けられることもあったという。

「地元の方々たちの反応は当然と言えば当然です。ですから当初は、地域にとけ込むことと、地域の人のためになることをする、ということを徹底的に意識していました」(福崎さん)

まめなでは、地域の耕作放棄地を開拓して畑づくりをしている。実はこれ、外来者に農業体験を提供するためであるのと同時に、地元の人とコミュニケーションを図る場でもある。

地域の人にアドバイスを受けながら、まめなに関わる若者たちがみんなでつくっている畑。地域の人たちとのコミュニケーションの場にもなる

「久比では、ほとんどの人が畑をもって野菜を栽培しています。地域の人は、言ってみれば野菜づくりのプロフェッショナル。求められればアドバイスをしてくれます。地元の人から見れば、ヨソからやってきた若者が慣れない手つきで農器具をもっている姿は、なんとも頼りない。ついつい口出ししたくなってしまいますよね(笑)。そこで両者にコミュニケーションが生まれます。同様の目的で、地元の人に教わりながら郷土料理をつくり、地域の人を招いてみんなで食べるといったイベントも何回か開催しました」(福崎さん)

地元にとけ込むために、地域の人たちに教わりながら郷土料理をつくるイベントなどを開催している

さらに、福崎さんらは月に一度、まめなやあいだすの活動を紹介したり、主催するイベントの告知をしたりする「あいだす新聞」を発行している。これもまた、地元の人の理解を得るため。新聞は、一軒一軒近所に配るほか、より多くの人に読んでもらうため郵便局などに置かせてもらっている。

「もちろんすべてが順調なわけではなく、失敗もありますが、それによって発見があると考えながらやっています。以前、地域の人向けにお茶会を企画してあいだす新聞で告知したのですが、フタを開けてみたら参加者が一人もいなかった、なんてこともありました(笑)」(大橋さん)

こんな苦い経験をしながらも、コツコツと活動を続けてきた甲斐あってのことだろう。いまでは、あいだすの畑をしょっちゅう見に来て、あれやこれやと世話を焼いてくれたり、自分の畑でとれた野菜や、料理のおすそ分けをしてくれたりする地域の人も少なくない。

「まめなの主な施設は、本拠地のまめな食堂と学びの場であるあいだすですが、これら私たちのフィールドに地元の人が自ら足を運んでくださるようになったのは、何よりもうれしいことです。以前は、家と畑を往復するだけだった方々が、私たちのところにフラリと立ち寄ってくださって、おしゃべりをしたり、これといって何をするでもなく、自由な時間を過ごしたりして帰られる。そんな皆さんの姿を見ると、私たちのことを受け容れてくださったのかなと思います」(大橋さん)

当初は、自分たちからイベントなどの提案をして地域の人に参加してもらうというスタイルだったが、そのうち、「こんなことをやりたい」「こんなことをしてほしい」などと、地域の人たちから提案されることも増えていった。

「連れ合いに先立たれて孤食している高齢の方から、『淋しいから一緒にご飯を食べたい』と言われ、ともに食事をすることもあります。喜んでいただくのを目の当たりにすると、私たちも少しは地域の方々のお役に立てているのかなとうれしくなります」(大橋さん)

島での活動を通して感じる、自分の変化と成長

日々の活動を通して地域の人たちと触れ合っている大橋さんと福崎さん。それぞれに気づきや学びがあり、自らの変化や成長も実感しているという。

「地域の子どもたちとのコミュニケーションがうまく取れなくて困っていたときもありました。そこで相手を子どもとして見るのではなくて、ひとりの人間として接するように心がけたら、コミュニケーションがスムーズになったのです。これは、お年寄りに対しても同じ。

相手が高齢者の場合、『荷物を持ってあげないと』などと考えてしまいがちですが、『筋力が衰えるから荷物は自分で運ぶわ』という方も少なくないわけです。要するに、人によって求めることは違うということ。お年寄りだから、子どもだからと決めつけてはいけないということを学びました。その結果、人間対人間として、ひとり一人といい関わり方ができているなと思います」(大橋さん)

「あいだす新聞」を配りに行く途中で出会った地域の人と立ち話。ここでは、道ですれ違えば、誰もが挨拶を交わす。島外からやって来て短期間滞在をする若者たちにも、活動を手伝ってもらうのがまめな流だ

一方、福崎さんは、久比での生活によって自分のなかに大きな変化が生じたと感じている。

「ここに来て、生まれて初めて、地域を『自治する」という気持ちが芽生えました。僕の出身地の東京・世田谷区にも自治会はありますが、会合に出席したこともないし、マンションの隣の部屋の人が引っ越しても気づかないし、何も感じない。地域との縁が薄くて、この地が将来どうなっていくのかなどと考えたこともありませんでした。でも、久比地区では高齢化率が7割を超えていて、知っている方が亡くなることもあり、人の死を身近に感じられる。そういう環境に置かれると、ここに住む人間として『この地域はこの先どうなってしまうのか』『どうしなくてはいけないのか』『自分には何ができるのか』など、ものすごく考えるようになります。東京で働いていた頃とは大違いです」(福崎さん)

すっかり久比に溶け込み、久比の住民になりつつある2人は、このほど、まめなから独立した。今後は、まめなから委託を受ける形で、あいだすを運営していくことになる。

「これまではスタッフの一員としてお給料をもらっていたのですが、自分たちで仕事をつくり、自分たちで稼ぐというフェーズに入ったのです」(福崎さん)

今後、2人が力を入れていきたいのは、宿泊体験プログラムの提供だ。

「参加する人たちに何かしらの気づきがあったり、内面に変化が起きるような体験を提供できればと考えています。いまは、外部のさまざまな人たちと組んだりして企画を進めているところ。今後はおそらく、私たちが島の外に出ていく機会が増えるはず。その間、あいだすを閉めるわけにはいきませんから、人材の確保が必要だなと思っています。私たちと同じくらいの熱量で運営に参加してくれる人を確保することが、いまの大きな課題です」(大橋さん)

これから先、あいだすはどのように進化していくのだろう。2人の挑戦は始まったばかりだ。

――前編はこちらーー

取材・文/佐藤美由紀

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