わたしの民藝「父がわらじを編んだ日」
今の暮らしを再考し、最高の日々をめざす『暮らしサイコウ』。2022年もよろしくお願いします。今年最初のテーマは近年再び注目が集まっている「民藝」について。
(トップ写真/筆者私物のわら細工)
柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎によって100年近く前に誕生した美の概念「民藝」とは「民衆的工藝」を略した言葉である。その多くは銘の入った高価なものではなく、名もなき人々によって大量に作られた日常使いの雑器や民具などを指している。
柳宗悦による民藝の美の概念は明確だ。名のある人によって作られていたり高額だったりする工藝品(貴族的工藝)のなかには技巧や装飾に走った華美なものが多く、実用を目的に作られていないため脆弱で美しくないと手厳しい。一方、名もなき人々が無心に量産した普段使いの素朴な工藝品は丈夫で、健やかな「用の美」を有すものが多いと高く評価している。後者が民衆的工藝、つまり民藝である。
わたしが民藝らしきものと初めて出会ったのは小学校4年生の時。学校で開催された日曜工作教室だった。今思うと明らかに民藝に傾倒していた先生が主催者で、子どもだけでなく保護者も一緒にわら細工を体験した。城下町である故郷は当時、多くの芸者さんがいるような町で、学区内に田畑は皆無。農業を営む家はなく、わら細工をしたことがある者は誰もいなかった。ところが参加者にひとりだけ例外がいた。わたしの父だった。
父は先生の形式的な挨拶に過ぎなかった「できる方がいらしたら是非ご一緒に」の言葉を真に受け、お手本に縄(初級)を綯(な)っていた先生の横に陣取り、手慣れた様子で「わらじ」(上級)を編み上げ、その場にいた人々を驚かせた。もちろん一番驚いたのはわたしだ。いつも髪を綺麗になでつけ、スーツを着てピカピカに磨いた革靴を履いて出勤している父の、意外過ぎる特技を知った瞬間だった。先生の「なんだ本物がいたか……」という微妙な表情が、今も忘れられない。
戦前生まれの父は戦時中、祖父母の故郷だった農村に疎開し、靴の生活からわらじ履きの生活へと変更を余儀なくされた。わらじは各家で自作するものだと知った父は、手先が器用だったこともあってすぐに編み方を覚え、再び靴履きの生活に戻るまでの間ずっと、家族の分も編んであげていたと後で聞いた。父お手製のわらじはテレビなどで観て抱いていた粗末な印象はなく、端正で美しかった。わらじは編み方がゆるいと歩きにくく、しかも壊れやすくなるらしく、手と足を使ってわらをぎゅっ、ぎゅっ、と引き絞りながら固く編み、目を詰めて綺麗に仕上げるのが大事だとその時に教わった。その知識が役に立つ機会は一生なさそうだが、だから父の編んだわらじは美しいのかと合点がいった。「用の美」という言葉は当時もちろん知らなかったけれど、直観的に理解した。わたしにとってこれが民藝の原体験だといえるだろう。
日曜工作教室がきっかけになったのか、昔から竹細工のカゴを筆頭に民藝品を好んでいたことはこれまでにも当連載で何度か書いてきた。
●『再生ガラスのうつわと出会う』
●『竹ブーム、大歓迎』
●『酉の市 変わらないお気に入り』
実は今の仕事に就く前、秋田の曲げわっぱ職人に弟子入りしたいと真剣に考えたこともある(あまりに適性がないので断念した)。写真は四半世紀近く前に物産展で一目惚れし、衝動的に購入した稲わら製の猫つ(ち)ぐら。最初猫がまったく興味を示さず、若者だった当時のわたしにとってそこそこ高額な買い物だったため大いに焦ったが、数日後には自分から入るようになりホッ。どうやら夏は涼しく冬は暖かいらしい。またたびボールも竹製の民藝品。
そんなことを思い出したのは、竹橋の東京国立近代美術館で開催されている『柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」』に足を運んだからだ。民藝好きとしては見逃すはずもなく、開催早々に出かけたが、膨大な展示を観たことで、初めて自分がなぜ民藝に惹かれるのか、今なぜ人気なのか、原体験の振り返りも含めてじっくり考える良い機会になった。
展覧会でもっとも魅力に感じたのは、なんといっても約100年に及ぶ民藝の歴史を一度に辿れたことだ。これまで民藝に関するさまざまな展示を観てきたけれど、その多くは比較的小さな美術館(民藝館)や店舗、ギャラリーが会場だったため、ひとつのジャンルや作家を特集した限定的な展示しか観られていなかったのだ。
展示のなかでは、機械による大量生産に批判的で手仕事によるアノニマスな量産を支持していた時代から一歩進み、戦後になってインダストリアル・デザインに取り組んでいく流れが改めて興味深かった。民藝運動が各地で見出した工藝品はたくさんあるが、それらの産地を記載した全長13メートル超の日本地図も圧巻で、常に「本当の美」を求め、探し続けた柳の貪欲さが視覚的に表現されていた。日本人の暮らしに本当の美を行き届かせて美意識を底上げし、日本を美の国にしたいと切望していた柳宗悦のあふれんばかりの情熱と意欲が時代を超えて伝わってきた。
昭和から令和の間に、地方は画一的な都市化の波に呑まれ、その特色と魅力を大きく失った。その時代を経て現在は地方創生が叫ばれ、その土地特有の魅力を発信したり、発掘したり、なければ新たに創造することが急務になっている。それらの事業に関わる人のなかには、地方の魅力に目を向けた先駆者である柳宗悦の思想や民藝の概念を参考にしている人も多いだろう。だが民藝の概念は、地方だけでなく都会にも必要だ。むしろ都会で暮らす人々にこそ必要かもしれない。
SDGsやサステナビリティという言葉や考えが浸透してもなお、特に都心は粗末で美しくないもので溢れている。柳によると、美しくないものに囲まれている人は心満たされず、むしろ心淋しくなるという。高額だから、有名ブランドだから、人気があるからという他人が作った指標や審美眼に依存して次々と物を買っては思ったほど幸福感も自信も得られず、その理由を考えることなくまた同じことを繰り返す現代人の、ひとつの特徴を言い当てているかのようだ。何を買っても、どれだけ買っても満たされないのは、ひょっとすると自分が美しいと信じているものが、本当はちっとも美しくないからではないだろうか。ふとそんな疑問をもったとき、民藝はなんらかのヒントをくれる存在のように感じている。
柳宗悦は民藝品を「健康な美を提唱するもの」と言ったが、たしかに民藝品を愛用する日々は、ささやかだけど確かな安心や満足、幸福が自分の中に蓄積されていく実感がある。安心するといっても退屈なわけではなく、優れた民藝品はどれも素朴でありながら、使い続けても飽きない力と、使い続けたくなる美を宿している。それがわたしにとって民藝の最大の魅力であり、民藝をもっと知りたいと思う動機にもなっている。ただ問題はそれら「本当に美しい民藝品」を見抜く力がまったく未熟なことだが、選び抜かれた名品を惜しげもなく披露してくれる各美術館や民藝館、民藝店が、見る目を養う絶好の場になっている。わからなくても、とにかく観る。可能なら触って、持って、使ってみる。それがずっと続けているわたしの民藝の楽しみ方だ。
展覧会名 柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」
主催 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、毎日新聞社
協賛 NISSHA、三井住友海上
特別協力 日本民藝館
会期 2021年10月26日(火)~2022年2月13日(日)
10:00~17:00(金・土曜日は20:00まで)*入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし1月10日は開館)、年末年始(12月28日~1月1日)、1月11日
*ご来館前に美術館公式サイト等で開館時間や観覧料等の最新情報をご確認ください。
アクセス:東京メトロ東西線「竹橋駅」1b出口 徒歩3分
〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
お問合せ 050-5541-8600[ハローダイヤル]
エッセイコンテスト入賞を機にファッションの世界からライターへ。現在はおもに広告・PR業に編集も。小さめの映画と街歩きが好き。牛肉・はまぐり・鋳物で知られる三重県桑名市出身。