アイヌ文化に学ぶ自然と共生する生き方【前編】
日本文化の温故知新から学び、日本人のサステナブルな生き方の知恵を、現代のライフスタイルに取りいれるコラム『NIPPON温故知新』。9回目は自然の恵みを活用してきたアイヌ文化に学ぶ問題解決のヒントや、学ぶべき自然と共生する暮らし方をテーマにお届け。全2回の前編となる今回は、アイヌ文化の考え方を中心にした内容をお送りします
明治政府が誕生するまで、北海道では狩猟・漁撈・採集を主とした独自のアイヌ文化が中心でした。
日本列島で1万年続いた縄文文化の後、本州では稲作を中心とする弥生文化が九州から北上しましたが、津軽海峡を越えることはありませんでした。
北の厳しい自然の中では農耕だけで暮らすには厳しく、狩猟と漁撈を中心とする北海道独自の文化が発展しました。
今回私は北海道にご縁を頂き、ウポポイ(民族共生象徴空間)、北海道立北方民族博物館、弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館、屈斜路湖畔のアイヌ室があるコタンの湯宿「丸木舟」を訪ねてきました。
厳しい北の大地の自然環境の中で、自然界すべてのものに感謝し無理をせず無駄をせず自然の恵みを活用してきたアイヌ文化。
そこには現代の私たちが抱える問題を解決するヒントや、学ぶべき自然と共生する暮らし方が残されていました。
自然界への感謝と敬意
アイヌ文化の根本的な考え方は「自然界すべてのものに魂が宿る」ということです。
動物や植物、さらに火や水や生活用具など、すべてのものにカムイ(神)が姿を変えて人間の世界にいると考え、敬っていました。
そのため、動物を過剰に殺生することはしません。頂いた命を衣食住に余すことなくすべて活用します。春から秋にかけては食料となる植物を調達し、凍らせたり乾燥させたりして保存していたものを食べていました。
彼らの食事は、たんぱく質やビタミンなど栄養のバランスがよく塩分が控えめで、健康にもよい食生活だったとみられています。
人間の世界での役目を終えたカムイは元の世界へ帰ると考え、自分たちの生活に必要なカムイたちが再び来ることを願い、カムイが喜ぶとされるイナウ(祭具の一つ)や酒、団子、干した鮭などの食べ物と一緒に感謝の祈りをささげてきました。
フードロス削減・アップサイクルのお手本の暮らし
北海道弟子屈町の屈斜路湖周辺にはアイヌの方々の集落「コタン」が多く存在していました。
地域のネイチャーガイドさんのお話では、昔は屈斜路湖畔に鹿を狩猟する場があり、沢山の鮭が産卵に戻って来る釧路川源流では、産卵後の鮭を捕って食べていたそうです。
鮭はアイヌの主食でカムイチェプ(神の魚)と呼ばれ、シペ(本当の食べ物)とも呼ばれした。
アイヌの方々は大量に卵を奪ったりはせずに産卵後の鮭を食べ、鮭の身はルイベと呼ばれる天然冷凍の保存食にし、鮭の皮を使って靴を作っていました。
頭、骨、内臓も余すことなく使い、まさにフードロス削減、アップサイクルの見本のような暮らしです。
後半はアイヌ文化からいただくヒントについて紹介します。
守岡実里子(もりおか まりこ)
サステナブルフードジャパン代表
日本食文化研究料理家/
ローカルフードプロデューサー
大学時代にマクロビオティックで両親の病気を克服した事がきっかけで、日本の伝統的な食文化に興味を持ち食の世界へ。地方創生、農畜水産業の6次産業化支援を専門とするコンサル会社にてフードコンサルタントとして勤務し、2013年に独立。全国の地域の食のブランディングや商品開発、飲食店、旅館のプロデュースなど、地方の生産者支援に携わる。マクロビオティックや日本の食養生、江戸料理を専門に学び「和食から美と健康、サステナブルな社会を叶える」を生涯のミッションに、心と身体、地球に優しい日本の食習慣術を伝えている。日本酒好きが高じて唎酒師の資格を取得。
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