元チャットモンチー・福岡晃子はなぜ、故郷の徳島にUターンしたのか
いまも大自然が残る徳島県は、住民、自治体、企業が一丸となって、人にも地球にも優しくあるための知恵を出し合い未来に進んでいます。サステナブルに暮らすためのヒントにあふれる、徳島の女性「阿波女(あわおんな)」は、伝統的に働き者で明るく、自立心旺盛といいます。そんな阿波女スピリットを胸に社会に貢献する徳島育ちの女性、音楽家の福岡晃子さんをご紹介します。
きらめきを求めて駆け抜けたチャットモンチーの16年間
「毎日24時間、バンドのことしか考えていなかった。新しい曲が生まれる喜びを味わっていたい、いい曲だねって言われたい、その“きらめき”だけを追い求めていました」
ロックバンド「チャットモンチー」で歌詞やベースなどを担当していた福岡晃子さんは、「チャットモンチーに出会って人生が変わった」と話す。それは徳島での高校時代。同い年の女の子たちがかっこよく演奏しているチャットモンチーのライブを見て衝撃を受けたという。その出会いからしばらくして、ヴォーカルの橋本絵莉子さんに誘われ、2002年から福岡さんもメンバーに。メジャーデビューが決まったのは大学在学中だった。
まっすぐに自分たちの音楽と向き合い数々の楽曲を発表。2018年にバンド活動を終えた“チャットモンチー完結”の日まで全力で走り抜けた。
全国ツアーでは毎回、地元の徳島を訪れた。結成10周年には徳島でフェスも開催している。メディアに出るときには、いつも阿波弁混じりで話す福岡さんにとって、故郷・徳島とは。
「大好きな阿波おどりがあるし、幼なじみもたくさんいる町。チャットモンチーと出会った町。たまたま生まれた町だけど特別な思いがある」
2016年に福岡さんは「東京や徳島で出会った人たちと何かできる場所を」と、徳島市内にイベントスペース「OLUYO」を構えた。徳島県の24市町村をイラストレーターとともにめぐり、名所や名産をイラスト化して展示会を開く企画も進行中だ。「徳島でフェスを開催するとき、まず地元の知り合いを通じて“徳島とのつながり”を結び直すところから始めた」という福岡さんは、どんな企画でも、顔を合わせて手と手を取り合うところから始めるという。
「おもしろそうって思ったことを形にしているだけなんです。身近な人やファンの方に『楽しかった』『また徳島に来たい』って思ってもらえたら。自分の手の届く範囲のことしかできないし、そういう小さな積み重ねをしていきたいと思っています」
阿波女は働き者だといわれる。新しいことに次々と挑戦していく姿もまた“阿波女らしい”のだが、福岡さん自身は「阿波女だといわれたことはない」と笑う。
「子どもが生まれてから、女らしくとか男らしくって、とくに必要ないんだなって感じるようになったんです。この子が自分らしく元気で育ってくれればそれでいいなと」
結婚、出産を経た福岡さんは現在、徳島県内で暮らしている。東京で1回目のコロナ禍緊急事態宣言が明けた2020年5月末に里帰りしたとき、徳島の海辺で走り回る愛犬の姿を見てUターンを決めた。
「東京にいた頃は、自分の弱点を隠そうとたくさんの武器を装備して闘っていたんです。でも、いまは丸裸。なんにももっていない。だけど、自分が嫌いじゃなくなった」
いまは時間をかけて、心ゆくまで音楽制作をしているという福岡さん。“チャットモンチー(済)”となった第2章を、自分らしく軽やかに歩く。
PROFILE
福岡晃子 Akiko Fukuoka
徳島県出身。徳島で結成されたロックバンド、チャットモンチーのメンバーとして2002~18年までバンド活動を行う。東京と徳島を拠点に、作詞作曲家・演奏家として音楽活動をつづけるかたわら、自ら代表を務め運営しているイベントスペースOLUYOで毎月さまざまなイベントを企画、開催している。2020年から徳島県在住。
●情報は、FRaU S-TRIP 2021年12月号発売時点のものです。
Photo:NAMAZU Text:Kanako Mori Composition:林愛子
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