「屋台村」に「恐竜ロボ」!宮崎&岐阜の“ネコすら歩かない商店街”はなぜ復活したのか!?
高齢化や過疎、都市部への人口集中など、コミュニティはさまざまな問題を抱えています。そんななか「人とのつながり」に焦点をあて、新たな方法でコミュニティを再生させようとする地域や団体が増えています。今回は商店街の事例から、これからのコミュニティのあり方を探りました。
「地域再生請負人」が明かす
シャッター商店街再生のカギ
過疎の町村と同じく、高齢化や都市への人口流出に頭を悩ませているのが地方の商店街。宮崎県日南市にある油津商店街もそのひとつだった。1965年には80ほどあった商店が、2013年には28店舗に減少。「ネコすら歩かない商店街」と揶揄された。その再生に着手した人物のひとりが木藤亮太さん。九州を中心にまちづくりのコンサルタントとして活躍してきた木藤さんは、333人の応募者から選ばれた「地域再生請負人」だ。
「通常のコンサルティングの場合、月に数回、現地に出張して業務するのが一般的です。でも、それでは地域の人との関係性が生まれづらい。日南市の場合は4年間の移住が条件でしたので、『これは地域と深くつながりながら、まちを変えていくことができるぞ』と、応募したんです」
家族と日南市に移住した木藤さん。当初は商店街の人たちと距離があった。
「僕は有名人でもないし、大きな実績もないですから当然です。外から来た若造がいきなり、『商店街を盛り上げましょう!』なんて言っても、最初は誰も信用してくれませんよね」
そこで木藤さんはまず、800万円もの借金をしながら油津商店街の空き店舗を改修、カフェのオーナーになった。
「商店街の方々は自分で商売をしている“プレイヤー”です。僕もプレイヤーのひとりになることで、みなさんの苦労を少しでも知れると思いましたし、何より覚悟を持って取り組んでいるということを見せたかった。借金もしちゃったし、任期が終わっても返済するまでここで商売するんですよって(笑)」
覚悟を持って同じ土俵に立った若者を、商店街の先輩たちは応援してくれた。そしてその“応援する気持ち”が、油津商店街復活の原動力となる。
「かつての商店街って、商売人たちがチャレンジする場所だったんですよね。新しいお店が入ってお客さんを呼んで、お店ごとに切磋琢磨して質を上げてきた。商店街の再生というと、昔ながらのお肉屋さんや八百屋さんがあって……とノスタルジックな想像をしがちですが、もともと商店街が持っていた新しいことに挑戦する文化を継承し、それを志す人を応援できる場所にしたいと思ったんです」
木藤さんは仲間と一緒に株式会社「油津応援団」を設立。廃業したスーパーマーケット跡地に屋台村「あぶらつ食堂」をつくり、中華料理やピザなど小規模でも自分のお店を持ちたいという情熱を持った店主に出店してもらった。さらに商店街の空き地に6つのコンテナを設置し、スモールビジネスの拠点として活用できる「ABURATSU GARDEN」を展開。古本屋や雑貨店、IT企業のオフィスなど幅広い業種に門戸を開いた。
「大学生が経営するゲストハウスもあって、最初は『治安が悪くなりそうでイヤ』という声もありましたが、いつのまにか、大反対していたはずの下駄屋のおじさんが一番の支援者になっていて。『こんなに若い子ががんばっているなんて』と、孫を見守るようなまなざしで応援してくれるのです」
木藤さんが商店街の再生に関わった4年間で29軒が新規出店。コミュニティスペースではお父さんたちが会合するそばで小学生のダンスレッスンがおこなわれるなど、異なる世代が自然に交わる場として、にぎわいを取り戻した。
「これからの商店街は買い物をするだけの場所である必要はないんです。そこに行けば新しいチャレンジができて、それを応援してくれる大人たちがいる。小さな挑戦をみんなで支える応援の連鎖が続いていく場所になれたら、ここで育った子どもたちも地域に根づくでしょうし、外からも新しい人が入ってくる。新陳代謝を繰り返し、商売だけでなく、関わる人たちの心をも活性化する。それがこれからの理想の商店街です」
ところかわって、岐阜県岐阜市「柳ケ瀬商店街」では、若い世代をターゲットにしたイベントが商店街再生を後押ししている。
「どこの商店街もそうでしょうが、とにかく若い世代に来てほしい。そのためには若い人が買い物したくなるお店がないといけない。そこで考えたのが一過性の集客のためではない、若い店主の店と客をマッチングさせるためのイベント、お見合いの場だったんです」
こう語るのは、岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会理事長の林亨一さんだ。2014年、岐阜を拠点にシェアアトリエの運営をする「ミユキデザイン」と共同で、イベント「サンデービルヂングマーケット」を月イチで開催することにした。
「商店街をひとつのマーケットに見立て、若手作家のアートやクラフトなど、つくり手のこだわりが際立つ店に出店してもらいました。まずは月1回のイベントに参加してもらい、うまく客層とマッチすれば空き店舗に入居していただこうという目論見です。高校卒業後は都会に出ようと思っていた若者のなかにも、『個人事業主として好きなことで食べていけるなら、この地に残ろうか』と考える人も出てくるでしょうし、Iターンも期待できる。若い世代のスタートアップの舞台として商店街を活用してもらえたら、商店街も町も活気を取り戻すのではないかと思ったんです」
2016年には林さんやミユキデザインなどが出資して「柳ケ瀬を楽しいまちにする株式会社」を設立。以後、町の遊休不動産や公共空間の利活用に取り組んでいる。
「組合や自治体はどうしてもトップダウン式で新規事業の立ち上げに時間がかかる。でも会社ならスピード感を持って取り組めますし、何より自分たちも商店街や町で商売する身として真剣勝負です。みなさんに継続的に商売をしてもらいつつ、自分たちも成長していく。そうした、いいお金の循環をつくることも商店街の再生にはとても重要です」
目指すのは東海地方イチ創業しやすい町。
「人口減少の時代、地方都市の商店街での持続可能な経営は、まちづくりと切っても切り離せません。若い世代が可能性を求めて集まる商店街をつくりつつも、並行して住みやすいまちづくりや移住政策を行政や民間と連携して進めていく。そうした包括的な動きが欠かせないと思っています」
●情報は、FRaU2021年1月号発売時点のものです。
Photo:Tetsuo Kashiwada Text & Edit:Yuriko Kobayashi
Composition:林愛子