せきねきょうこ「星のや軽井沢で地域の魅力を再発見!」【前編】
上質なくつろぎ空間や、ホスピタリティ、目でも舌でも楽しめるグルメ、その土地の伝統を感じられるアクティビティ……。多彩な魅力を持ち、多くの人に愛されている「星野リゾート」が、環境問題などにも積極的に取り組んでいることをご存じですか?
ホテルジャーナリスト・せきねきょうこさんならではの視点で、日本を代表するあこがれリゾートのひとつであり、サステナブルなリゾートでもある星野リゾートの魅力に迫ります。今回は、星野リゾートの原点「星のや軽井沢」をご紹介します。
星野リゾート生誕の地“軽井沢”は
昔もいまも特別な避暑地
標高1000m近い森に包まれる「星のや軽井沢」は、清涼な水をたたえる高原リゾート地、軽井沢の中央部に佇んでいます。「星のや」ブランドがこの地に生まれたのは2005年。前身の「星野温泉旅館」として、軽井沢で最初の旅館を開業したのが1914年のことですから、星野リゾートは世代交代を経た現在、すでに100年以上もの長い年月を歩んできています。
「星のや」の舞台となっている軽井沢が、日本有数の避暑地としてスタートしたのが1886年といわれています。都心からも近い風光明媚な避暑地として、そして観光地として現在も大変な人気です。もともと軽井沢には大自然が織り成す“気”のよさがあり、活火山である浅間山の山麓で、高原特有の涼しく清浄な空気に包まれ緑濃い野生の森が広がっていました。
いまとなっては、開業当時の「星野温泉旅館」に与謝野鉄幹・晶子夫妻が逗留し「明星の湯」の歌を詠んだことを知る人は少なくなりました。当時も良質の温泉や避暑地としての快適な環境を求め、都会からも多くの文化人が訪れる宿として人気を博していました。1921年に始まった「芸術自由教育講習会」には、内村鑑三、島崎藤村、北原白秋など、そうそうたる顔ぶれがこの地に集ったといわれていますから、軽井沢に佇む「星野温泉旅館」は、当時、アカデミズムの漂う知識人たちのたまり場のようだったのでしょう。
現在は「星野エリア」として、森の散策や湯量豊富な「星野温泉 トンボの湯」、雑誌から抜け出したような洒落た店が連なる「ハルニレテラス」など、老舗リゾート地に生まれた未来が凝縮されたコンプレックスを楽しむ人々で、季節を問わず驚くほどのにぎわいを見せています。浅間山の山麓から連なる広葉樹の多い森に囲まれたこのエリアこそ、まさに「星野リゾート」の原点といえる場所なのです。
軽井沢の歴史を辿れば、気の遠くなりそうな縄文時代まで遡らなければなりません。それほど遠い歴史はともかく、いまなお軽井沢が特別の場所として存在感を保ち続けているのには、いくつもの理由がありました。「星野温泉旅館」はもちろん、古くからこの地に住む人々や、昔から別荘を所有する人々の“己の町への誇りと愛情”により、必然的に生まれた「軽井沢町民憲章」を厳守することで、貴重な高原リゾート地の特別感が保たれてきたといっても過言ではないでしょう。いま、星野リゾートの原点となる軽井沢は、こうした努力の積み重ねによって自然が守られ、美しい情景が保たれているのです。
1973年8月1日に制定された軽井沢町民憲章の冒頭には、「わたくしたちは、国際親善文化観光都市の住民にふさわしい世界的視野と未来への展望に立って、ここに町民憲章を制定します」と記され、5つの項目が並んでいます。軽井沢は常に自然とともにあり、そこに暮らす住民はグローバルな感性で、誇りと威厳を持って軽井沢の町を守り、すべての来訪者を温かく受け入れようという、軽井沢ならではの“アイデンティティ”がひしひしと伝わってきます。
星のや軽井沢
長野県軽井沢町星野 ☎0570-073-066(星のや総合予約)
客室数77室 施設ダイニング、ライブラリーラウンジ、ショップ、キッズルーム、宴会場、大浴場、スパ ほか
アクセス車/上信越自動車道 碓氷・軽井沢ICより
PROFILE
せきね きょうこ
ホテルジャーナリスト。仏国アンジェ・カトリック大学留学後、スイスの山岳リゾート地の観光案内所に勤務。期間中に3年間の4ツ星ホテル居住。仏語通訳を経て1994年、ジャーナリズムの世界へ。ホテルの「環境問題、癒やし、もてなし」の3テーマで現場取材を貫く。世界的ブランドホテル「AMAN」のメディアコンサルタント、他ホテルのアドバイザーも。連載、著書多数。
●情報は、『麗し日本旅、再発見!星野リゾート10の物語』発売時点のものです(2021年4月)。
Text:せきねきょうこ Photo:玉井幹郎 Composition:林愛子