単なる遺品の記録ではない。写真家・石内都が撮る、平和への気づきをくれる“遺されたもの”
小花柄のワンピース、水玉のブラウス、花柄のフレアスカート、今でも着られそうなデザインと柄……。それらは1945年8月6日の広島で破れ、ちぎれ、ボロボロになりました。
遺されたものに内包する、かけがえのない記憶を撮る

©Ishiuchi Miyako「ひろしま#5」
あの日、広島の街は地上3000~4000℃ともいわれる高温で焼き尽くされた。纏(まと)っていた人々は、火傷した皮膚に服が張りついた状態から剥がされたり、放射能を含んだ黒い雨を浴びたりした。
写真家の石内都さんは、毎年、広島を訪れ、そこに“遺されたもの”を撮っている。
「戦時中は地味なモンペのイメージがあったけれども、原爆資料館で見せてもらった遺品のワンピースが素敵でおしゃれだった。だからこそ、あの日身につけられていた衣服を中心に撮りたいと思いました」

©Ishiuchi Miyako「ひろしま#69」donor:Abe, H.
石内さんのなかで、遺されたものは“遺品”とはちょっと違う。亡くなった母親が肌身につけていた口紅や下着を撮影した写真集『Mother’s』でも知られる石内さん。『ひろしま』もまた、単なる遺品の記録ではない。遺されたものたちが透過光で撮影される。光が物を通過した時に現れる鮮やかな色みは美しいが、浮かび上がるディテールには凄絶な過去を宿している。おそらく素敵だったであろう衣服の、柄やパターン、手縫いの様子が残る縫い目や、裁断やリメイクが施された跡。持ち主は、朝どんな気分で服を選んだのか、衣服からはその人が確かに生きていた人生を想起させる。
「遺されたものたちに光を当て、もう一度蘇らせる。実際には手触りも固いし、汚れも傷もある。でも、写真に撮ると美しく再生すると思っている」

©Ishiuchi Miyako「ひろしま#43」donor:Yamane, S.
2007年から撮り始め、今では大切な街として広島があると石内さん。
「正直、これまではものすごく遠い存在だったけれど、通ううちに好きな場所になりました。原爆は広島と長崎に落とされたものだけど、日本と日本人に落とされたものでもある。海外に行くとその視点を特に感じます。私たち日本人は、もっとそのことを知ったほうがいい」
一度だけ被爆者と話したことがある。自分が生き残ってしまったことがすごく辛いと、なぜあの時にみんなと一緒に死ななかったのかと涙ながらに話したという。

©Ishiuchi Miyako「ひろしま#71」donor:Hatamura, T.
「本当に想像を絶することで、自分には原爆や被爆の痛みは到底わかるはずがない。だからそれは、無理に理解しようとするよりも“わからない”で始めるでいいと思ったの。歴史に向き合うためのアプローチはなんでもいいと思うんです」
石内さんが撮り続ける「世界最大級の傷跡の品物」に触れることは、そこに生きた一人ひとりの生を尊重し、弔い、新たな平和への気づきを与えてくれる。
『ひろしま』石内都著(2008年・集英社)◆2007年より、広島平和記念資料館に遺された被爆者の衣服や靴、時計、メガネなどを撮り下ろし、まとめた作品集。「多くの写真家があの日のひろしまを残すために記録してきた。当初はもう撮るものはないと思っていたけど、私が撮るべきものが残っていた」。新作を加え、その「ひろしま」シリーズを本格的な写真集として再編した『From ひろしま』(2014年・求龍堂)もある。
PROFILE◆石内都 いしうち・みやこ 1947年、群馬県生まれ。1979年に女性写真家として初めて木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年『Mother’s』で第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出。近年は国内各地の美術館のほか、アメリカやヨーロッパなど海外で作品を発表する。東川賞国内作家賞、日本写真協会賞作家賞のほか、2014年、日本人で3人目となるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。近著に写真集『Naked Rose』(SUPER LABO)がある。
●情報は、FRaU2023年8月号発売時点のものです。
Text & Edit:Chizuru Atsuta Composition:林愛子
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