台湾のコロナ禍を“3日で解決”したオードリー・タンが唱える「誰ひとり取り残さないデジタル社会」とは?
2020年、独自のマスク在庫管理システムを構築し、世界に先駆け新型コロナウイルスの抑え込みに成功した台湾の初代デジタル大臣、オードリー・タンさん(上写真)。彼を主筆とする新刊『PLURALITY(プルラリティ) 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』(サイボウズ式ブックス)が5月2日に発売されました。世界の未来を描くトップランナーが示す、テクノロジーと人類が進むべき新たな道とは? フリーライターの寺田薫さんが、難解な同書を自分なりに読み解きました。
テクノロジーを架け橋に、人と人がつながればいい
2020年以降、私たちの日常は明らかに変わった。
ソーシャルディタンスを強(し)いられたコロナ禍が落ち着きを見せても、老若男女さまざまな人が利用するスーパーマーケットや飲食店という場に、人手が戻った印象があまりない。
コンビニやスーパーマーケットには「セルフレジ」が当たり前のように並び、飲食店では「ロボット」が配膳し、紙のメニューの代わりに「タブレット」や「スマートフォン」から直接注文する店舗も増えた。企業のコールセンターでは急速に知恵をつけた「AI」が電話に応対する。最新テクノロジーの働きで、世の中の変化のスピードはますます速くなっている印象だ。
いまを生きている以上、PCやスマートフォンを駆使し、自分の努力で情報を拾い集めて世の中の流れについていくしかないのだが、スマートフォンで飲み物を注文することすら苦手な私が、10年後、20年後の最新テクノロジーと共存できるのだろうか? 人生100年時代といわれるが、この先を想像するだけで正直、頭が痛い……。
そんなときに出合ったのが、5月2日に発売された『PLURALITY(プルラリティ) 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』の日本語翻訳版だ。 翻訳書ということもあってタイトルはかなり長め。昨年(2024年)5月に台湾の初代デジタル省大臣を任期満了したオードリー・タンと、米国の経済学者でマイクロソフト主席研究員を務めるE・グレン・ワイル、そして彼らをサポートする世界中のコミュニティメンバー数十名の共著となっている。

本書の厚さは約4㎝。書店で手にとると、ずっしりと重い。
ふだんなら敬遠しがちな大作に興味をひかれたのは、ひとえにオードリー・タンの人物的魅力にある。
1981年台湾に生まれたオードリー・タンは、幼少期からプログラミングを独学し、14歳で中学を自主退学すると、19歳で起業。2014年には米国アップル社のデジタル顧問に就任し、Siriなど高レベルの人工知能開発プロジェクトに関わっている。2016年には自身の性自認・性表現を男性、女性の枠組みにあてはめない世界初の「ノンバイナリー閣僚」として、史上最年少の35歳で台湾の行政院(内閣)に入閣。当時の蔡英文政権下で、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担った。
何より、その名を世界に知らしめたのはコロナ禍での手腕だ。 当時のニュース報道を思い出してほしい。2020年に突如出現した「新型コロナウイルス」によって世界中が大混乱に陥(おちい)るなか、早期に感染流行の抑え込みに成功したのは台湾だった。当時、政務委員を務めていたオードリー・タンは、全国民にマスクを公平に配布するシステムをわずか3日で構築して感染拡大防止に貢献。2023年には米国『TIME』誌の「世界のAI分野でもっとも影響のある100人」にも選ばれている。

その600ページを超える新刊のテーマは、オードリーとグレンが中心となって提唱するテクノロジーと民主主義の共存を目指す新たなビジョン、プルラリティ。これを直訳すれば「多元性」や「多数性」となるが、本書では「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」と定義づけられ、テクノロジーを「架け橋」として、社会的・文化的な違いを超えて人々がつながり、さまざまなアイデアを出し合い、一人ひとりがしあわせな未来を育むための新たな道、新たな世界を実現していこうという提案書になっている。
本書の根底にあるのは、社会にテクノロジーを活かすことは必要だが、「少数の人だけが便利につかってメリットを得て、大多数の人がつかい方を学ぶことすらできない現在のような手法は間違っている」という思いだ。
テクノロジーに対するオードリー・タンの信念は、「誰もがつかえる。それが社会のイノベーションにつながる」。たとえば、デジタル技術が苦手な高齢者がいるとしたら、「プログラムを書き換えたり、端末機器を改良して、高齢者の日ごろの習慣の延長線上でつかえるようにプログラマーがつくり方を工夫すればいい」とオードリー・タンは考える。つくり手が使用者の側に寄り添って考える創造力を持てば、誰も取り残されることなく「社会」に参加できる。その技術こそがプルラリティであり、希望あふれる社会創造の一手になる。
しかしその実現には、「まず、私たち自身が未来を想像し直す」ことが重要だとオードリー・タンはいう。まるで私の不安を見透かされたようだが、10年後、20年後には誰もがストレスなくテクノロジーと共存し、一人ひとりの意見が反映され、人間として豊かに生きられるそんな社会でありますように。テクノロジーと世界の未来を左右するトップランナーの言葉を頼りにしたい。
Text:寺田薫 Photo:安田有