日本のマチュピチュ!? 徳島の秘境「祖谷」で生きる人びとの“たくましすぎる”暮らし【後編】
徳島市内から車を走らせること2時間半〜3時間。三好市の井川池田インターで徳島自動車道を降り、川沿いを西から南に走って、大歩危小歩危(おおぼけ・こぼけ)の大パノラマを通り過ぎると、日本三大秘境のひとつに数えられる地区、「祖谷(いや)」にたどり着きます。人びとは山の急斜面に家を築き、畑をつくり、集落内の高低差はなんと390mというところも! まさに“天空の里”で生きる人たちの、美しくもたくましい暮らしを紹介します。
“平家が落ち延びた地が祖谷”に信憑性を与える数々の事実

祖谷きっての観光名所で、国の重要有形民俗文化財である「かずら橋」も、平家の落人が架けたとの伝説が残っている。追っ手が迫ってきたとき、すぐに橋を切り落とせるよう植物のシラクチカズラでつくられていたという(現在はワイヤー鉄芯入り)
祖谷では平家の落人伝説が語り継がれている。集落を築いた山の中腹の斜面は耕作も難しいため、人びとが生きる場所として積極的に選んだとは考えにくい。源平合戦に敗れ、落ち延びた平家一族が身を隠すように山奥に身を置いたのが、この集落の始まりではないかとの伝説があるのだ。

かずら橋の14m下を流れる祖谷川
平家の落人伝説は全国に残されているが、ここ祖谷には信憑性のあるエピソードが数多く残る。たとえば墓の風習。ひと昔前まで集落に墓地はなく、各戸の敷地内に置いた、目立たない平らな石を墓石としていた。この地域の方言が、古い公家言葉に由来するという証言もある。

そば打ち体験にやってくる客の前で粉ひき歌を歌う都築麗子さん。/古式そば打ち体験塾 三好市東祖谷若林84-1
「古式そば打ち体験塾」を営む都築麗子さんは77歳。「私が子どものころ、まわりの大人たちが話していたキレイな公家言葉を、いまの人たちにも聞かせてあげたい」と話す。彼女が生まれ育ったのは、東祖谷の山の斜面に築かれた集落。実家で食べていた古式そばを、当時の製法でつくる体験教室を開催している。

取材班は、都築さんたちと一緒に、まかない食(手づくりの天ぷらやこんにゃく、なますなど)をいただいた
都築さんの幼少期、そばといえばそば切り(麺)ではなく、そばがきだった。客人が来たときだけ、そば切りを出してもてなしたそう。生醤油を入れた小さな椀に、わんこそばと同じ要領で次々とそばのおかわりを入れていったそうだ。
「そばを入れるのは子どもの仕事でね。お客さんはお腹いっぱいになったら椀をパッと伏せるのがルール。『まだまだ、もっと食べなよ』と思いながら大人のお椀にそばを入れるのが楽しかったんよ」

粉ひき歌の一節。客人にまた来てくださいという思いも込める
そばをひくのは女性の仕事だった。日中畑で農作業をしたあと、夜は土間の作業場で、姑と嫁が夜なべして石臼でそばをひく。
「いく晩も徹夜するからね、眠気覚ましに歌ってたんよ。姑と嫁が仲よくひけば、おいしくなるって歌ね」
彼女は、祖谷で歌い継がれてきた「粉ひき歌」を披露してくれた。遠くまで届く澄んだ歌声。彼女の目には、ありし日の母や祖母の姿が映っているのか。

近所の小売店が取り扱う餅も彼女たちがつくる。中には、つぶあんが詰まっている
都築さんは、この店を地元の同世代の友人たちと切り盛りしている。外国人客とも、持ち前の明るさでコミュニケーションをとって楽しませる。祖谷の女性たちはよく笑い、よく働く。楽しい会話が飛び交う昼休憩が終わったと思ったら、休む間もなく今度は餅づくりに取りかかった。

「楽しくて仕方ないんよ」と言いながら仕事を進める
みな、ワイワイと冗談を言い合って楽しそう。が、誰も手を止めることなく、餅が次々にできあがっていく。

一棟貸しの古民家宿「篪庵(ちいおり)」の内部。床板は黒光りし、明かりを反射する。ソファなどの家具はないが、しっかりリノベーションされ、床暖房やヒノキ風呂、広々としたキッチンなど現代に合った快適性が取り入れられている。/篪庵 三好市東祖谷釣井209
働き者である阿波女(あわおんな=徳島県の女性)たちの昔の暮らしのようすを、いまなお体感できる場所がある。祖谷・釣井集落の築300年の茅葺(かやぶ)き古民家を一棟貸しする宿「篪庵(ちいおり)」(上・下写真)を訪ねた。この地域に畳が普及する以前の姿が残るこの古民家宿の大きな板の間には、囲炉裏(いろり)が切られている。

茅葺き屋根の裏側が覗ける天井。すすけた真っ黒な梁(はり)には葉タバコなどを吊るしていた跡がある
茅葺き屋根の天井裏にむき出しになった梁は、長年囲炉裏の煙で燻(いぶ)されたためススがついていて真っ黒だ。だが、こうなることで木材の耐久性は増し、害虫がつきにくくなるというからおもしろい。家屋の細部にまでも、古くから伝わる人びとの知恵が活かされているのだ。

古民家宿には美しいキッチンもあり料理もできる。1食3200円でこんな仕出し料理を頼むことも可能だ
「食べ物も家も畑の石積みもそう。いつの時代に誰が考え、始めたかはわからないけれど、すべて積み上げられてきた暮らしの知恵。それには感謝していいます」

古民家宿の縁側に腰掛ければ集落を一望できる。写真は厳寒期のようすだが、夏などは実に快適だという
こう語った磯貝ハマ子さんの言葉を思い出す。この地域には、厳しい環境を乗り越えるために代々紡がれてきた知恵と、祖先は平家であるとの誇りがあった。
●情報は、FRaU S-TRIP 2023年4月号発売時点のものです。
Photo:Kazumasa Harada Text:Kanami Fukuda(euphoria factory)
Composition:林愛子