スタイリスト百々千晴「嫌いだった故郷・徳島の宍喰を、自身のブランド名に!」
いまも大自然が残る徳島県は、住民、自治体、企業が一丸となって、人にも地球にも優しくあるための知恵を出し合い未来に進んでいます。徳島の女性「阿波女」は伝統的に働き者で明るく、自立心旺盛。そんな阿波女スピリットを胸に社会に貢献する徳島育ちの女性、スタイリストの百々千晴さんを紹介します。
働く母の影響と再発見する地元のこと
人気スタイリストの百々千晴さんは、高知との県境にある海部郡宍喰(ししくい)町(現・海陽町宍喰)で生まれ育った。中学生のときにファッション誌でスタイリストという職業を知り、志すように。高校生のとき、宍喰にサーフィンに来ていた東京の出版社の編集者と知り合い、スタイリストのアシスタントになる道が開かれた。
「幸運だったと思います。実際にスタイリストになれるという保証なんてなかったけど、両親は反対もせずに送り出して、いつもサポートしてくれたので」
幼少期から田舎な地元が嫌いで早く出て自立したいと考えていた。母親のすごさに気づいたのは東京で働くようになってからだとか。
「両親ともに忙しく、とくに母親は、何時に子どもを迎えに行き、何時にお風呂に入れて、何時に寝かせる、というルーティンが完璧に決まっている人でした。私はその反動か、そこまで子育てを真面目にできてはいない気がするけれど、自分でお金を稼ぎたいと思ったのは両親の影響ですね」
2人の小学生の母親として東京で暮らす百々さん。住民票を移すことなく徳島の学校に通える「デュアルスクール制度」を利用して、夏休み明けの9~10月は、子どもを海陽町の小学校に通わせている。
「都心の暮らしだけでなく、自然豊かな場所も知ってもらいたいし、さまざまな家庭があるということも子どもながらに感じてほしいんです」
2020年5月、自身のブランドをローンチした。その名も「THE SHISHIKUI」。覚えやすいブランド名をと考えてひらめいたという。自然や人にやさしいものづくりにこだわり、現在は主にサングラスやデニムなど、衣類と小物を扱っている。
「自然を大切にし、ムダのないように食品を使う母親や、近所のおばちゃんにもらった野菜を上手に調理していた祖母を見ていましたから。デニムづくりは大量の水をつかうので難しいこともありますが、古くからつづいているやり方も、応援したいと思っています」
鳴門市の歴史ある窯元から生まれたセラミックの器ブランド「SUEKICERAMICS」や、友人の藍染めプロデューサー永原レキさんとのコラボレーションなど、徳島印の商品も。
「せっかくだから徳島にまつわるものは取り扱いたいと考えました。私は地元を出てしまったので、故郷でずっと頑張って活躍している人のことを尊敬しています。徳島が活性化したらいいなと思うし、たくさんの人に徳島のことをもっと知ってもらいたい。ゆくゆくは海の近くにゲストハウスを建ててみたいんです。THE SHISHIKUIがライフスタイルすべてを包括するようなブランドになればいいですね」
いまは東京の暮らしが充実しているから、徳島を拠点にするつもりはないと笑う百々さん。恋しくなったらすぐに帰省するという故郷は、日々多忙なスタイリストにとって、心身ともにリフレッシュできる大切な場所であることは間違いない。
PROFILE
百々千晴 Chiharu Dodo
海部郡海陽町宍喰生まれ。2002年に渡英し、2004年より東京をベースにスタイリストとして活動。雑誌、広告を中心にスタイリングを手がけ、ブランドディレクターとしても活躍中。著書に『THE DODO JEAN「ジーンズ3本でスタイルは決まる!」』(ワニブックス)。2020年夏から始めたYouTube『DODOTUBE』で精力的に発信している。
●情報は、FRaU S-TRIP 2021年12月号発売時点のものです。
Photo:Mina Soma Text:Nobuko Sugawara
Composition:林愛子
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