フィンランドに移住し、夫と居酒屋を。吉田みのりが実践する「自分らしい豊かな暮らし」
2014年、みずからの意志でフィンランド・ヘルシンキへ移住した日本人女性の吉田 Öberg(オーバリ) みのりさん。それから10年の月日が流れたいま、彼女は居酒屋とカフェのオーナーになり、フィンランドの暮らしに関する書籍を出版し、1児の母になりました。異国の地で、どのように「自分らしい豊かな暮らし」を実現してきたのか。冬のヘルシンキを訪れ、みのりさんに話を伺いました。
仕事を失い、大好きな食の道に飛び込んだ
父親の親友がフィンランド人であったことから、幼いころからたびたびフィンランドを訪れていたみのりさん。フランス・パリの大学で学んだ経歴もあり、「外国で暮らすこと」を楽しいと感じていた。卒業後はフィンランド系企業に就職して東京で働いていたが、「フィンランドで暮らしたい」という思いに駆られ、社内異動を通じてヘルシンキに移住した。
みのりさんにとってフィンランドは、幼いころから身近な国だった。フィンランド人と働くのも楽しいと感じていたという
「移住して約2年が経ったころ、不景気などの影響で仕事を失ってしまって。それなら大好きな料理を仕事にしたいと思い、レストランのキッチンスタッフに応募して働きはじめました。現地に住むための就労ビザも取得できて、どんどん仕事が楽しくなっていきました」
当時、彼女は33歳。レストランでの仕事に夢中になり、オーナーからの評価も高かった。多国籍のチームでゲストをもてなす飲食店の働き方も自身にマッチしていて、「一生この道で生きていこう」と決意が固まったという。
忙しいときほどアドレナリンが出るタイプだというみのりさん。没頭して我を忘れる感覚が好きで、かえってストレス発散になるそうだ
当時働いていた企業は、スペインバルやカフェ、寿司バーなど多様なジャンルのレストランを展開しており、それらの店でひととおりの料理を習得した。後に夫となるフィンランド人男性に出会ったのは、レストランで働きはじめて半年後のこと。同じくシェフをしている彼と意気投合し、何度も食事をともにするうちに2人はパートナーに。そして、彼との出会いが、みのりさんの人生によい変化をもたらした。
夫とともに居酒屋をオープン、大繁盛店に
2021年8月、みのりさんはヘルシンキで、夫とともに居酒屋「Sake Bar & Izakaya」をオープンする。店を持ったきっかけは、夫と一緒に日本の居酒屋を訪れたことだった。 「ハネムーンで日本を旅行した際、2人で居酒屋に行ったら夫がすごく驚いて。『仕事が終わった後に、お酒を飲みながらゆっくり食事ができる場所がこんなにあるなんて』と。フィンランドでは21時までに閉店する飲食店が多く、深夜まで営業しているバーはあれど、家庭的な小皿料理とお酒をゆっくり楽しめる場所はあまりないんです」
夫のひと言がヒントになりフィンランドで居酒屋をオープン。現在はコースで和食を提供し、日本酒も扱う
「フィンランドで居酒屋のようなレストランをオープンしたらいいのでは」という夫のアイディアを形にしたのが、Sake Bar & Izakayaだ。といっても、いきなりレストランをオープンするのはリスクが高い。自分たちの店を構えるまでの数年間は、これまでの仕事を続けながら、友人のレストランを一時的に借りてポップアップレストランとして営業を重ねた。
試行錯誤しながらオリジナルメニューを考案したり、コロナ禍の規制中はテイクアウト専門店に切り替えたりしながら徐々に手応えをつかんでいった。そして、2021年に常設レストランとしてオープンすると半年先まで予約が取れない人気店になった。喜びもひとしおだったが、慣れない店舗運営で苦労も多かったという。
みのりさんが「自身の子どもような存在」だと話すSake Bar & Izakaya。スタッフはみな仲がよく、フレンドリーな接客スタイルも好評だ
「メディアに多く取り上げられて認知度が向上したのですが、カン違いする方も多くて……。ひと組2時間半の予約枠を取っているのに、注文はおにぎりだけ、お酒や飲み物を頼まず水のみのお客さんも。予約日時にお客さんが来店しないノーショーも頻発しました」
このままでは立ちゆかなくなると考え、運営スタイルを工夫した。予約時にクレジットカード情報を登録してもらい、ノーショーの場合は料理代金の50%を引き落とす方法に変更し、料理もコース制に変え一定の客単価を保てるようにしたところ、困りごとが激減した。制度を整える一方で、予約なしでふらりと来店したい人に向けてカウンター席は常に空けている。
母になり変化したライフスタイルも自分らしく楽しむ
2024年、みのりさんは40歳で母となった。妊娠9ヵ月目まで働き、出産後は2ヵ月で仕事に復帰。育児休暇制度は整っており休もうと思えば休めるが、あえてその選択をしなかった。バイタリティあふれる彼女らしいエピソードだ。
「性格的に子どもと2人でずっと家にいるほうが大変だと感じるので、すぐに仕事復帰しました。子どもはいまは保育園に通っていますが、それまでは私が現場で働く代わりに、お仕事としてスタッフにベビーシッターをお願いしていました。私も助かるし、スタッフも子どもが好きで楽しいと言ってくれ、ウィンウィンの関係が築けていたと思います」
自然な流れで子宝に恵まれた。フィンランド語、日本語、英語、スウェーデン語を聞いて育つわが子がどんなふうに育つのか楽しみだという
いわゆる高齢出産であり、ときに体力的な大変さはあるが、この年齢で出産したからこそドンと構えられているというポジティブな側面もあるという。また、「仕事で鍛えた対人能力が子育てにおおいに生きている」とも話す。
「飲食業をしていると、フィンランド人のお客さんへの対応が難しいと感じることが少なくありません。みんな好き嫌いが多いし、保守的で新しい食べ物には警戒心が強いし、値段の高さに不満を持つ人も多いんです。日ごろから、そうしたお客さんへの対応をしているので、赤ちゃん1人のお世話は難なくこなせているのかなって」
乳幼児の子育てをしていると、何ひとつ思いどおりにいかない。予定変更なしに物ごとが進むことはまずないが、レストランの経営を通じて、そうした事態にも慣れている。さらに、フィンランドには妊娠中から就学前までの間、子育てを支援してくれる「ネウボラ」という制度があり、子育てや自身の体調管理に関しても細かくアドバイスがもらえる。これにも助けられているそうだ。
「フィンランドの食文化を広げることが使命」
飲食業界に転身して約8年。いまではレストラン運営を「自身の使命」とも捉えていると、みのりさんは言う。
「この国での暮らしを通じて、フィンランドの食文化の乏しさを目の当たりにしました。ふだんからかわりばえしない食事をしているし、外で食事をするにしてもフォークとナイフをつかってコース料理を楽しむ文化が一般的です。そうしたファインダイニングだけが食の頂点に立つのではなく、小皿料理を並べてわいわい飲食を楽しむ居酒屋や開放感のある野外で楽しむストリートフードの文化が強い国もありますよね。私たちが新たな食のスタイルを提案してダイニングスタイルを変えることで、フィンランドの人々の文化やライフスタイルの価値観を広げていけたらいいなと思います」
日本と比較するとフィンランドの食文化は発展途上のように思える(現地で約1年暮らした筆者も同感)
実際、Sake Bar & Izakayaをオープンしてから変化が起きているという。ヘルシンキを中心に“イザカヤ”がブームになりつつあり、フィリピンバージョンやベトナムバージョンの居酒屋も誕生したそうだ。
執筆業と2足のわらじのみのりさんは、2024年2月に『暮らしの図鑑 フィンランド時間 季節の北欧生活44×基礎知識×実践アイデア』(翔泳社)を上梓。さらに、同年11月にはヘルシンキ市内に2軒目となる自身の飲食店「Café Tampopo」をオープンした。
ボリュームたっぷりのサンドイッチは、フィンランドで暮らす人にも親しみやすい。5種類のサンドイッチとアンバタークロワッサンなどのスイーツを販売する
「Café Tampopo」はカツサンドやフルーツサンド、ほうじ茶ラテなどフィンランドでは見かけないメニューを取りそろえる。オープン初日に訪れたところ、満席で日本人のお客さんもチラホラ。フィンランドにいながら日本を感じられ、ほっこりとした安心感に包まれた。
最後に、みのりさんに「これから叶えたいこと」を尋ねた。
「料理ブロガーをしているフィンランド人の友人と一緒に、日本料理に関する書籍をフィンランドで発売したいと考えています。フィンランドの家庭では同じようなメニューばかり登場するし、余った材料を活かして別のメニューをつくる『つかい回し』の発想が薄いので、同じ材料で複数の料理をつくるなど新たな食の提案ができる内容を考案しています」
フィンランドに魅了され、そこで自分にとっての楽しみとは何かを追い求め、苦労しつつも、常に行動し続けてきたみのりさん。「自分らしい豊かな暮らし」は、そうした一歩一歩がもたらした結果に違いない。
写真提供:吉田 Öberg みのりさん 取材・文:小林 香織
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