脳出血で倒れたワーママ、その後の日々②「仕事・料理・運転」復活を目指した、5ヵ月におよぶ病院生活
2021年7月後半のある日曜日の午前中に、突然倒れた本サイトの制作担当、私ことエディター・ライターの萩原はるな。救急車で搬送された病院先で告げられたのは、脳卒中の一種である「脳出血」という病名でした。集中治療室から一般病棟に移されたものの、右手右脚がまったく動かないうえに、顔の右側も動かしにくいという状況に! 退院後の社会復帰を目指すべく、リハビリ専門病院に転院することになりました。
以前と同じカラダには戻れない! でも、近づけることはできるはず
6年生と3年生になる子どもたちが通う小学校の体育館で、ビーチボールバレーしていた最中に突然倒れた私。急性疾患や重傷患者を24時間体制で治療する「急性期病院」に2週間入院したのちに、リハビリ病院に転院することになりました。
この後がどうなるかまったくわからなかった私は、スマホで「脳卒中」「予後」「リハビリ」などのワードを懸命に検索。すると、脳卒中の発症後3ヵ月間は回復期、その後は維持期とされていることがわかりました。回復期は脳の神経が自然に回復する時期で、この時期からリハビリすることがとても大切のよう。「脳卒中後の回復曲線」のグラフを見てみると、発症後6ヵ月以降は、回復曲線がほぼ横ばいになっていました。つまり、この先半年が勝負だということです。
しかも、曲線は100%の目盛りには達していません。複数のサイトに同じグラフがアップされているのを見た私は、「そうか、もう以前と同じ状態にはならないのか」と愕然(がくぜん)。けれども100%近くまで回復した「先輩」もいるということ。しかも、倒れた年齢が若ければ若いほど、回復曲線は急上昇しています。「よし、少しでも多く回復できるように頑張ろう!」と誓ったのでした。
リハビリ病院の4人部屋にて。リハビリのスケジュールは、前日夜に各患者に配られる。みんな配布を心待ちにしており、時間割を見ては「やった、明日は○○先生だ!」などと一喜一憂するのだった
急性期病院でもリハビリはおこなっていましたが、病室で30分やる程度。1日3〜4コマ、各1時間みっちりできるのはリハビリ病院ならではの贅沢です。私が受けたのは、おもに右脚の機能回復を目指す「理学療法」と右手&右腕のリハビリを行う「作業療法」、そして言語療法士による「言語」のリハビリ、さらに脳の働きをテストして回復を目指す「心理」でした。
私が退院後に掲げた目標は、「仕事、料理、運転の復活」です。
仕事は家族が生きていくために必要。私自身、仕事をしていない人生が想像できません。料理は大好き! 忙しいときほど凝った料理がつくりたくなる、実益を兼ねた趣味といっていいでしょう。18歳のときからずっとしている運転は、子どもの送迎や少年野球の車出しに必要です。第一、右脚が不自由なうえに、左手に杖をもったら右手では荷物がもてない私。運転ができなければ、生活もままなりません(ちなみに夫は筋金入りのペーパードライバー)。
この3つをクリアできれば、子育て中もその後の人生も、なんとか自分らしく生活ができるはずです。
10月ころ、車イスから装具をつけての歩行に移行。ヒマさえあれば廊下で歩行訓練を繰り返す。1日5000歩目標、「右脚の滞空時間が」「ダメ! 右ひじが曲がってる」などとブツブツ言いながら、セルフスパルタ方式で練習
記念すべき料理復活の一品は目玉焼き。左手だけでは卵を割るのも大変。フライパンからお皿にうつすのは、もっと大変!
急性期病院では「3ヵ月くらいの入院になるでしょう」と言われたものの、フタを開けてみれば5ヵ月近くをリハビリ病院ですごすことに。セミが絶好調に鳴いていた8月から、病院の窓から富士山が美しく見える12月まで、リハビリ三昧の日々を送りました。
空いた時間は本を読んだり、パソコンで同業者である夫の原稿をチェックしたり、仕事関係先にお詫びと近況報告のメールを送ったり……。原稿を書くスピードは以前とは比べものにならないほど遅いけれど、そうやら左手一本でいけそうです。取材メモは取れないけれど、録音すれば大丈夫!
運転は病院内の運転復活に向けたシミュレーターで練習を重ねました。左手でハンドルはなんとかなるとして、左脚のアクセル&ブレーキはいちいち考えないとダメ。なぜなら、右側のペダルがブレーキ、左側がアクセルと、右脚と逆だからです。「ブレーキは真ん中、アクセルは左」とつぶやきながらシミュレーターを操作。何度もモニター上でボールを追いかけて飛び出してきた男の子をひきそうになり(実は何回かアウトでした)、大丈夫か?と不安でいっぱいになってしまいます。
ところが冬に入って右足首が何とか動くようになり、先生からOKが! 晴れて右脚アクセル&ブレーキでの運転が許されました。ハンドルは左手のみで操作するものの、アクセルやブレーキの感覚は右脚が覚えている(!)ので、集中して運転することが可能に。これなら自家用車を改造する必要がなくなり、旅先でレンタカーも乗れます。やった!
ほぼほぼ動かない右手と格闘しながらも、左手のポテンシャルによって「仕事、料理、運転」の復活が見えてきました。右脚は右手よりも優秀で、杖に頼りながらなんとか歩けるように。ただ、退院に向けた屋外での歩行訓練では、「こんなにも道路ってでこぼこなのか」「必死に歩いているのに、おばあさんに抜かされた!」などとショックの連続でした。やっぱり病院の中での歩行と「シャバ」では、いろいろ勝手が違うのです。
退院の朝、転院以来つけっぱなしだったIDタグを外してもらう。ちなみに退院時には、なんとか工夫しながら腕時計はひとりで着脱できるようになっていた。片手はやはり不便だけど、人間なんでも慣れるものだ
そして2021年12月10日、長らくお世話になったリハビリ病院を退院することになりました。コロナ禍まっさかりだったため、外出や外泊許可は出ず、家に帰るのは5ヵ月ぶり。中学校受験を間近に控えた娘と野球少年の息子、私が倒れるまで「家事戦力外宣告」を受けていた夫が待つ我が家に、いよいよ帰還です。
以前とはまったく違うカラダで、私が長期不在だった家に帰る……。うれしい反面、かなりの不安を抱えての帰宅でした。
――退院後の生活編に続きますーー