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大虐殺を生き延びたルワンダ女性たちが編む、想いのこもったバスケット
大虐殺を生き延びたルワンダ女性たちが編む、想いのこもったバスケット
COLUMN

大虐殺を生き延びたルワンダ女性たちが編む、想いのこもったバスケット

ある女性が編んだバスケットに出合ったことから、自分のみならず、多くの女性たちの人生が変わったという小澤里恵さん。まったく縁のなかったアフリカ・ルワンダの女性たちと「正しいビジネス」を展開している小澤さんに、これまでの軌跡と今後のストーリーを語ってもらいました。

出合いは、ふと立ち寄ったアフリカンフェア

寄付や資金援助、ボランティアではなく、アフリカと正しいビジネスを展開したい。小澤さんはそんな思いから、アフリカの伝統工芸品を軸にした、オリジナルアイテムを開発・生産。魅力的な商品を提供することで、「買う側の喜び」がアフリカ途上国の経済的自立につながっていくという、フェアトレードを実現している。

「きっかけは、2008年に横浜で開かれていたアフリカフェアに行ったこと。当時私はインテリアの仕事をしていたので、商品の買いつけのためにフェアに行ってみたのです。

ルワンダのブースをのぞいてみたところ、コーヒーや紅茶などの特産品といっしょに、素敵なバスケットがあったのです。手に取ってみるとずっしりと重く、つくりがとてもしっかりしている。『これはぜひ扱ってみたいな』と思いました」

ブースでバスケットを紹介していたのが、つくり手の女性、ルイーズさんだった。小澤さんのようすを見て、「ぜひ、このバスケットを日本に紹介する代理店をやってほしい」と頼んできたという。

「温暖な気候の静岡で何不自由なく育ち、結婚、子育てを経てもぬくぬくと過ごしていた私。ルワンダとの出合いで、毎日がガラッと変わりました」。photo:横江淳

「アフリカにはまったく縁がないし、もちろん言葉もわからない。何かを輸入した経験もなかったので、その場でお断りしたんです。けれどもそのようすを見ていた通訳の方から、『あなた、ルワンダの虐殺は知っているの? 彼女はそのとき夫を殺されて、2人の息子を連れて命からがら逃げてきたの』と告げられたんです」

「ルワンダの虐殺」とは、1994年4月に起こった大虐殺事件だ。人口730万人が住む、四国の1.5倍ほどの小さな国で、わずか100日間のうちに100万人以上が殺された。犠牲者となったのは少数派のツチ族の人々で、多数派のフツ族によって虐殺されたという。加害者のフツ族は「殺さないと、自分が殺される」という恐怖のなかで、隣人であるツチ族の殺戮をくり返した。

「ルワンダの虐殺については、なんとなくニュースを覚えている程度でした。でも、通訳の方に『それ以来、ルイーズは2人の子どもを、バスケットを編むことで育てているのよ』と言われて、あらためて彼女を見たんです」

民族衣装に身を包んだルイーズさんは、とても華があって美しく、魅力的だったという。

「1994年といえば、私はまだ20代。自分が遊び回っていた時期に、同じ年頃のルイーズが子どもを連れて逃げ回っていたなんて、と頭を殴られたような衝撃を受けました。それなのに、目の前の彼女はそんな苦労など微塵も見せずに、ニコニコと笑っている。そのギャップにもやられました」

ひとつのバスケットが完成するまでの期間は1週間ほど。ひと針ずつ柄のバランスを保ちながら、ていねいに編み上げていく。
 

その場では断って帰ったものの、後日届いたルワンダバスケットの美しさに、再び心を打たれた小澤さん。そして、「ルワンダバスケットひとつ一つに意味がこめられており、それぞれ『題名』がつけられている」ことを知ったそう。

「虐殺からの復興を願う意味の題名が多いと知り、今度こそ、どうしても扱いたいと思いました。同時に、『このバスケットを私が日本に紹介することで、ルイーズのような女性を助けることができるかもしれない』と考えたのです。調べてみたら、ルワンダには夫を亡くした未亡人がたくさんいる。これは頑張るしかない、と決意を固めました」

それから小澤さんは取り憑かれたように、ルワンダとその現状について映画や書籍、インターネットなどで調べはじめる。それまで地元・静岡から出たことすらなかった小澤さんは、まず、現地に住む日本人夫婦を探し、メールでコンタクトをとることからスタートした。

「それまでの経緯を話して、『けれども私はアフリカに行ったこともなく、言葉も話せない。どうしたらいいでしょう』と相談したんです。そうしたら奥さまがとてもパワフルな方で、いろいろなことがどんどん進んでいきました。そしてJETROの開発途上国ビジネス支援に応募し、無事に採択されました。バスケットと出合った1年後には、ルワンダに行くことになったんです」

芯材となるイシンギ草に、サイザル麻を巻きつけて編みあげていく。手作業とは思えない緻密さに、几帳面な国民性が表れている。photo:横江淳

暗い歴史が影を落とす、生真面目な「アフリカの奇跡」

当時、小澤さんの2人の子どもは小学生。アフリカに行く、と聞いて下の息子は、目を丸くして驚いたそう。

「私の父も、当初は『危ないから、行くな』と反対していましたね。周囲の友人たちは『ルワンダってどこの国?』という感じで、反応はよくなかったんです。

私自身、ルワンダについて調べれば調べるほど、何だか怖く思えた時期もありました。静岡でぬくぬくと過ごしていた私には、あまりにも違う世界に思えて……。けれどもそのときは、とにかく夢中だったんですよね。いま思うと、かなり無謀だったのですが、もう後戻りはできないと現地に飛びました」

ルワンダは「千の丘の国」と呼ばれる風光明媚な地。近年はIT国家として急激な成長を遂げており、「アフリカの奇跡」といわれている。首都・キガリには近代的なビルが立ち並び、夜にひとりで出歩けるほど治安もいい。

「第一印象は『きれいなアフリカ』。子どもたちこそどろんこで裸足でしたが、街も人々もとても清潔でした。景色や人、そこでつくられているものの色彩のセンスなど、どれも心地よいものばかり。人々はとても生真面目で勤勉です。

アフリカというと、すごく開放的で明るいというイメージがあったんですが、ルワンダの印象はまったく違いました。明るいんですが、どこか影があるというか……。1年間で人口の10分の1近くが命を落とした虐殺の影は、色濃く残っていると感じました」

――後半に続くーー

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