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シベリアは過去ではなく 練馬区立美術館 「生誕110年 香月泰男展」へ
シベリアは過去ではなく 練馬区立美術館 「生誕110年 香月泰男展」へ
COLUMN

シベリアは過去ではなく 練馬区立美術館 「生誕110年 香月泰男展」へ

今の暮らしを再考し、最高の日々をめざす「暮らしサイコウ」。今回は、練馬区立美術館で開催中の「香月泰男展」について。

香月泰男(1911~74)に興味を持ったのは、生誕110年記念の回顧展が開かれるという記事を見たことがきっかけだった。太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描いたシベリア・シリーズで戦後画壇史に確固たる地位を築いた画家と紹介されていたが、ちらっと目に入った数点を見て、その重厚な色使いと大胆で洗練された構図に強烈に惹かれた。まさにひと目惚れだった。

《渚〈ナホトカ〉》1974 年 油彩・方解末・木炭, カンヴァス 山口県立美術館蔵

気になって調べたところ、代表作であるシベリア・シリーズはもちろん、若き日々に描いた少年をモチーフにした叙情的な作品群も、復員後に描いた身辺風景のキュービズム的な作品群も、空間の取り方、色彩、造形、どれも素晴らしく、さらに好みに合うのだ。そのため、当初は戦争やシベリアといったテーマより、ピカソや広重からも影響を受けたという香月泰男の画業全体に関心が向き、これは実物を観に行かなくてはと強く思った。

《釣り床》1941 年 油彩,カンヴァス 東京国立近代美術館蔵
《公園雪》1971 年 油彩・方解末・木炭, カンヴァス 島川美術館蔵

そんな矢先の2月24日、突如ロシアとウクライナが戦争状態に突入した。そのため、美術館を訪問しようと思ったときは戦後のつもりだったのに、訪問した日には戦中になっていたのだ。そんな時事の影響もあってシベリア・シリーズも、風化させてはならない昔の傑作ではなく、リアリティを伴うタイムリーな展示として心に迫ってきた。シベリアや収容所ではないものの、実際に今、ウクライナでは多くの人が戦争の犠牲になり、絶望や苦痛に苦しんでいる。香月泰男が描いた世界が、今また現実になってしまったのだ。

《北へ西へ》1959 年 油彩・方解末・木炭, カンヴァス 山口県立美術館蔵

山口県三隅村(現・長門市)に生まれた香月泰男は、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、美術教師として働きながら新進画家として少しずつ頭角を現していたが、1942年に召集され、やがて終戦とともにシベリアに抑留される。親の縁が薄く、祖父母に育てられた香月は、16歳のときに再会した母親に買ってもらった油絵の道具一式を持って戦地へ赴き、抑留中も隙を見ては絵を描き、浮かんだモチーフのアイデアを忘れないように絵の具箱に刻んで過酷な捕虜生活を過ごした。

《ダモイ》1959 年 油彩・方解末・木炭, カンヴァス 山口県立美術館蔵

1947年に復員し、画家としての活動を再開した香月は、やがて日本画の岩絵具として使用される方解末を混ぜた黄土色の下地に木炭粉を擦り付けていく独自の技法を編み出し、抑留体験の記憶に基づいた作品が次々と生み出されることになった。これが後にシベリア・シリーズとなる。

《復員〈タラップ〉》 1967 年 油彩・方解末・木炭, カンヴァス 山口県立美術館蔵

1950年代末~1960年代のシベリア・シリーズに色はなく、いつ帰国できるか、そもそも生きて帰れるかもわからない極限状態の日々を重厚な絵肌のなかに表現した苛烈な作品が並ぶ。その後はどんどん抽象的で俯瞰的な作風になっていき、青や赤などが印象的に使われるなど色使いにも変化が表れる。だが1974年、まだまだこれからという時に62歳でこの世を去る。

《青の太陽》1969 年 油彩・方解末・木炭, カンヴァス 山口県立美術館蔵

今回の展覧会でもっとも注目すべき点は、主題を時系列で展示せず、他のシリーズとあわせて実際の制作順に展示したことだ。復員し、故郷で静かな日々を過ごすなかで、身辺風景を題材にした作品にも着手しながら、その時々で蘇った記憶や感情を作品にしていった流れを追うことで、消え去ることのない記憶を抱えて生きた画家の単純ではない人生に想いを馳せることができる。

《山羊》1955 年 油彩・方解末,カンヴァス 香月泰男美術館蔵

ロシアとウクライナの戦争ではすでに多くの犠牲者が出ており、日を追うごとにその数は増えている。香月泰男が渾身の想いで描いた素晴らしい芸術と、そこに託したさまざまな想い――抑留生活の過酷な現実、絶望と苦しみ、死者に対する鎮魂、家族への愛と望郷の念、そして平和への希求――を、ひとりでも多くの人に感じてもらいたい。地球の健やかな未来も、持続可能な社会も、SDGsも、すべては戦争のない世界が大前提にあってこそ、実現できるものだから。

(展覧会情報)
生誕110年 香月泰男展
会場 練馬区立美術館
会期 2022年2月6日(日)~3月27日(日)※途中展示替あり
前期:2月6日(日)~3月6日(日) 後期:3月8日(火)~3月27日(日) 休館日 月曜日(ただし、3月21日(月・祝)は開館、3月22日(火)は休館)
開館時間 10:00~18:00 ※入館は17:30まで
観覧料 一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円、中学生以下および75歳以上無料(その他各種割引制度あり)
※一般以外の方(無料・割引対象者)は、年齢等が確認できるものをお持ちください。
※リピーター割引:展示替があるため、前期をご観覧いただいた方は、展示替後の観覧料を割り引きます。初回の観覧料から300円割引
主催 練馬区立美術館(公益財団法人練馬区文化振興協会)
監修 山口県立美術館、香月泰男美術館
企画協力 一般社団法人インディペンデント
問い合わせ 練馬区立美術館
所在地 〒176-0021 東京都練馬区貫井1-36-16 西武池袋線(東京メトロ有楽町線・副都心線直通)「中村橋」駅下車徒歩3分
公式サイト

水谷美紀

エッセイコンテスト入賞を機にファッションの世界からライターへ。現在はおもに広告・PR業に編集も。小さめの映画と街歩きが好き。牛肉・はまぐり・鋳物で知られる三重県桑名市出身。

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